第八話『過去の遺産』



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「ふわぁぁぁぁぁぁぁ、凄いですねぇ。まったく何もかもが、写真よりも素敵だわ」

 大帝國劇場を目の前にして、加藤真澄は感嘆の溜息を漏らした。幾度も修理、拡張をくり返してきた大帝國劇場。新調された華麗な彫刻が施された柱などは、古き物との調和を崩さぬように考慮され作られているため、年月を重ね築きあげられてきた建物の風格は、いささかも損なう事なく、見事な景観をかもし出している。

「ず、随分、気にいったようだね」
「そりゃぁ、もう。こんな場所に住んで働いているなんて、吉野にはもったいないわ」

 大帝國劇場に来るまでに、すっかり打ち解けて気軽な口調で話すようになった真澄に比べ、神凪は大帝國劇場に近づくにつれ次第に気が重くなり、今どん底の心境であった。神凪は自分がモギリである事を隠し通していた。話題を交え、ごまかしつつここまで来たのである。途中で別れてしまおうとも考えたが、しばらく東京に滞在すると聞き、後でバレた時の方が危険だと判断しここまで来たのである。なんとか、帝劇に着くまでには、言い訳を考えておこうと思っていたのだが、結局何も思い浮かばないうちに到着してしまったのだ。

「うーん、いよいよ吉野との対面か!きっと驚くだろうなぁ〜〜〜」
「え?、真澄くんが来ること、吉野くんは知らないのかい?」

 神凪は真澄の言葉に驚き、思わず訪ねてしまった。てっきり事前に連絡を入れていたものと思っていたのである。

「ええ、いきなり尋ねていって『感動の再会』っていうのがセオリーだと思うんですよ」
「そ、そういうものかな・・。でも、さっき今日、吉野くんが劇場にいるのを事前に確認しているって・・・・」
「ああ、それですか?。吉野のお母様に確認してもらったんですよ。わたしが父の用事で東京に出るので、ついでに吉野に合いに言ってきますって話したら、吉野のお母様が『吉野には連絡せずに突然訪問したら良い』って、帝劇の支配人の方に内密に吉野の予定を聞いてくださったんです。吉野の驚く顔が目に浮かぶようだわ。なんて笑ってました」

(なるほど、支配人が一枚噛んでいたのか。確かに今日は休館日だけど、吉野くんは帝劇待機しなければいけない日だ。それを教えたんだな)

「ま、まぁ、とにかく中に入ろう」
「そうですね。でも、気になるなぁ。神凪少尉さんと吉野がどうやって知り合ったのか・・・」

 好奇心で充たされた爛々と輝く目が、上目づかいに神凪の顔を除きこむ。一瞬、言葉に詰まる神凪。

「な、中に入れば分かるよ。うん」
「確かに、吉野に聞けば分かるかもしれませんよ。でも、話してくれるかなぁ、あの娘(こ)。結構、こういう事に関しては固いんですよねぇ。だから、神凪さんの口から、先に聞きたかったんですけど・・・ま、無理強いはできませんよね。では、いざ大帝國劇場の中へ!」

 大きな扉を開け神凪が先に入り真澄が後に続く。ロビーは薄暗かったが、窓から注ぎ込まれる日射しがくっきりと線を成し、それが広く静かな空間に、なんとも言えない荘厳な雰囲気を演出させていた。真澄の後ろでゆっくりと扉が閉まる。

ゆっくりとロビーを進んでいくと、ふいに誰かが声をかけてきた。

「あら、神凪さん。おかえりなさい。支配人の用事はお済みになったんですか?」

 声をかけて来たのは、売店で働くさつきであった。

「え、ええ。なんとか無事に・・・」

 妙に端切れが悪い。ふい、と神凪の後ろに目をやったさつきは、後ろに誰かがいるのに気がついた。さつきは神凪達に近付いていった。若い女性である。理由は分からないが、何かに驚いているような表情で、しきりに、さつきと神凪を交互に目をやっている。さつきは、訝し気な表情で神凪に訪ねる。

「神凪さん。後ろの方は、神凪さんのお知り合いの方ですか?」
「あ、いえ。その・・・」

 神凪がしどろもどろになっていると、突然、来訪者真澄は驚きの声をあげた。

「えええええ!神凪少尉さんって、ここの人なんですか!」
「あ、ああ、まぁ・・・」
「なんで少尉さんが、大帝國劇場に!ここって普通の劇場でしょ?ええっ?!」

 真澄の台詞に、さつきの片眉がピクリと動き、やおら神凪に近付き左腕をしっかと掴みツカツカと、ロビーの角へと連れていった。そして、耳元に顔を近付け、真澄に聞こえないよう小さな声で神凪を攻め立てた。

『いったい、どういう事ですか!あの人はいったい誰なんですか!なぜ神凪さんが少尉だと知ってるんですか。そもそも、そういう人を何故連れてきたんですか!』

 えらい剣幕だ。さつきは比較的大人しい性格の持主ではあるが、非常におっかない一面を有している女性なのである。さつきの言葉に、神凪は早口で、重要な部分だけかいつまんで説明した。

『・・・・なるほど、彼女は、東京に出てきた吉野さんの同郷の方で、その人が不良水兵達になんくせつけられていたところを、たまたま通りかかった神凪さんが、自分は海軍少尉だ、まいったか。と言って、水兵を追い払った。で、吉野さんに会いたいから帝劇に案内して欲しいと頼まれて、こういう状況になった・・・・と?』
「ちょっと、ニュアンスは違いますが・・・まぁ、そういう事です」
「・・・・・神凪さんも、運が良いのか悪いのか」
「・・・・・どっちなんでしょうねぇ」
「このさい、どっちでもいいですよ。で、どう説明するんです?」
「さつきくん・・・・何か良いアイデア無い?」

 すがるような目付きで、さつきに助けを求める。その顔を見たさつきは、仕方ないわねといった表情をし言った。

「そうですねぇ。とりあえずわたしが先回りして、花組のみなさんを口止めしときます。そして彼女が花組のみなさんと話をしている間に、支配人に連絡します。たぶん支配人にも挨拶に行かれると思いますから、支配人になんとか誤魔化してもらいましょう」
「そうだね。それが一番良い選択かもしれない。でも、花組のみんなには何て・・・」
「神凪さんが海軍少尉なのにモギリをやってる理由は私達の口からは言えないので、支配人に聞いてください。とか、そう言ってもらいます」
「支配人に全てを任せることになるわけだ・・・はぁ〜、後で絞られるだろうなぁ」

 後始末を全て支配人に押し付ける形になるのだ、大きい雷は覚悟しておかなければならないだろうと神凪は気落ちする。

「事情が事情ですし、軽い罰で済むんじゃないですか?とにかく、今は動きましょう。」
「あ、ちょっと。実は彼女、吉野くんにはナイショで来てるらしいんだ。それで・・」
「わかりました。いきなり合ってビックリさせたいって言うんでしょ?名前は伏せておきますよ」
「よろしく頼むよ」

 二人がひそひそ話をしているのを真澄は怪訝な顔で見つめていた。

(何、話してるんだろう。やっぱアレかな・・・・・うん、アレしかないわね。まぁ、仕方ないわね。向こうも向こうで何も知らないわけだし。でも驚いたわね、まさか神凪さんがねぇ・・・。ま、何か相談してるみたいだけど、とりあえずは乗ってあげますか)

「ねぇ、いったいいつまで、こそこそと話してるのよ」
「あ、ごめんごめん。彼女に真澄くんの事を説明していたんだよ。彼女がちょっと、勘違いしてしまってねぇ」

 ひそひそ話が終わった神凪達は、再び真澄の方にゆっくりと戻ってきた。 

「勘違い?なんですかそれ?」
「ごめんなさい。実はわたしったら、あなたを神凪くんの彼女と勘違いしてしまって」
「か、か、彼女!ち、ちち、違います。わたしは神凪少尉さんに道を案内してもらっただけで、全然、そんな関係では!」

 名も知らない女性に、神凪の彼女と誤解してしまった。と言われ、真澄は顔を真っ赤にさせ、あわてて否定する。

「はい、分かってますよ。それは今、神凪さんが説明してくれましたから。あたしったらそそっかしいから、てっきり・・・ね。でも、びっくりしちゃった。ここに来る人で神凪さんが、実は少尉だって知ってる人は、そんなに多く無いですから。よほど親しい人だと思ってしまって。で、もしや彼女なのでは!って。彼女なら陶然知ってるでしょうし。でも、そんなわけありませんでしたね。なんたって、神凪さんには、密かに想いを寄せている人が他にいるんですもの」
「な!」

 神凪は、さつきの打ち合わせに無い言葉に絶句する。

「ええっ!そうなんですか?、あ!それってひょっとして・・・」
「実はこの劇場の関係者、しかも女優だったり・・・うふふ」
「ちょ、ちょっと、さつきさん。何を言うんですか何を」
「別に、いいじゃないですか。減るものでも無いんだし」
「そういう問題じゃなくてですねぇ。今は・・・」

 顔を赤らめながら抗議する。が、想いを寄せる者がいるという内容については、否定はしないようである。

「はいはい、分かってますって。事情は全て理解しましたから。あ、そうそう、まだわたしの名前を言っていませんでしたね。はじめまして、わたしは小早川さつきです。この劇場の売店で売り子をしています」
「あ、わたし、仙台から来た加藤真澄と申します。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく。えーと、真宮寺吉野さんのお友達の方なんですって?」
「はい、物心ついた頃からずっと一緒でした」
「幼馴染みかぁ、いいですねぇ、そういうのって。わしたは、そういう友達はいなかったから、ちょっと羨ましいですね」
「いえ、ただの腐れ縁ですよ。あ、そうだ。ところで、何で帝國海軍の少尉さんが大帝國劇場に?」

 真澄は、一般的で率直な疑問を問いかける。陶然の質問であろう。彼女の質問に、さつきはひかえて申し訳なさそうな表情で答えた。

「すみませんが、自分も、そして、この劇場の関係者が、おおぴっらにその理由について、話すわけにはいかないんですよ。どうしても聞きたいのでしたら、支配人にお聞きになって下さい。まぁ、大した理由では無いんですけど。海軍の方の体面もありますし。色々と・・・」
「はぁ、そうなんですか。では、後程、支配人さんにも挨拶い伺う事にしてますので、その時にでも聞いてみます」

 真澄の言葉に、神凪はとりあえず胸をなでおろした。後は米田支配人に全てを託すだけだ。

「ところで、さつきさん。その吉野くんは今何処にいるか分かりますか?」
「たぶんサロンにいると思いますが・・確認してきましょうか?」
「そうですね、お願いできますか?実は、吉野くんにはナイショで来たそうなんですよ。吉野くんを驚かせたいらしくて」
「実はそうなんです。吉野の驚いた顔が見たくって」
「まっ、そんな事を考えてたんですか。けっこうイヂワルなんですね真澄さんって」

 半分テレたような仕種の真澄に、さつきは好感を覚えた。(なるほど、幼馴染みの親友か。どことなく吉野さんに似てるかもしれないわね)

「それでは、確認してきますから、神凪さんと真澄さんは売店の影で待っていてもらえますか?そこだったら仮に食堂の方から出てきても隠れられますから」
「わかった。じゃあ、頼んだよ」

 神凪の言葉にさつきは、片手を軽く上げて応え、階段を昇っていった。

「さて、ではそこの売店で休んでいようか」
「はい。神凪少尉さん」
「あ、あの、できれば、その少尉さんはやめてもらえないかな?立場上・・・ね」
「あ、わかりました」

 真澄は、笑顔でそう応え、売店の影へと入っていった。


    



「まったく、少尉にも困ったものね。民間人に身分をバラしてしまうなんて」

 ローズは、怒ったような困ったような、複雑な表情をさつきに返した。

「この場合は仕方ないと思いますよ。一人の女性を助けるためにした事ですから」
「ええ、分かってるわ。よりにもよって乱暴を働いている者が、同じ海軍の軍人だなんて。少尉にとっては見過ごせるはずないわね」
「いいえ、神凪さんなら、相手が誰であれ助けに入ったと思います」

 ローズの言葉に吉野が軽く訂正を加える。

「吉野の言うとおりだ。隊長だったら誰が相手だろうが、見てみぬフリはしないと思うぜ。アタイだってそうさ」
「まぁ、センカさんは助けに入るのではなくて、ただ単に暴れたいだけなんじゃありませんこと?」
「んだとぉ?そういうテメェはどうなんだよ。どうせ、庶民のもめ事にはかかわりませんの。とかなんとか言って、見て見ぬフリをする冷血女じゃねーのか?。このイガグリ女!」
「なんですって!このわたくしに喧嘩を売ってらっしゃるの!」
「喧嘩を売ってきたのは、どっちだってんだよ!」
「やめなさい!二人とも。今は言い争ってる場合じゃないでしょ!」

 いつものとおりに喧嘩を始める二人をローズが止めに入る。

「確かに喧嘩なんかそとる場合やないね。で、結局どないすんの?」
「とりあえず、みんなには自分からは言えない。支配人に聞いて欲しい。って口裏を合わせてほしいんです。今から、支配人に報告して、なんとかしてもらいますから」
「なーるほど、米田はんに誤魔化してもらうんかいな。そりゃ、エエアイデアや。米田はんやったら上手いことやってくれるやろ」
「そうね。支配人ならなんとかしてくれるでしょうね。ただ、問題は、私達が少尉をどう呼ぶか・・・ね」

 ローズはすみれとセンカの二人を見つめ言う。

「うちや吉野はん、それにシーススとフローナは問題あらへんけど、ローズはんや、れいかはん等はなぁ」
「そうか、こっちに来るんだもんなその女。やっぱ隊長はマズイよなぁ」
「少尉以外になんて呼べばよろしいのかしら」
「普通に神凪さんで、いんじゃありませんか?」

 ニッコリと吉野が言う。それぞれは吉野の案を頭に浮かべた。れいかが言う分には違和感はない。ローズもクリアできるだろう。しかしセンカは・・・・。一同の視線がセンカに集まる。

「な、なんだよみんなしてよぉ」

 春蘭と吉野が、ひそひそと話合う。だが、その会話はしっかりとみんなの耳に入るくらいの声である。
『どう思う吉野はん?センカはんの口から神凪さんやで?』
『ええ、ものすごく違和感ありますよね』
『違和感なんてもんやないで。うち聞きたあらへんで』
『センカさんには申し訳ありませんけど、同意見です』

 二人の会話にセンカが憮然とした態度でグチる。

「吉野までなんだよ、そんなにあたいが言うとおかしいかよ」
「い、いえ、ちょっとした冗談ですよ」
「そうやでセンカはん。気にしたらあかんて。ユーモアあふれるおちゃめなジョークやない」
「ケッ」

 ふて腐れるセンカを尻目に、ローズは真面目な口調で言う。

「似合う似合わないの問題ではないのよ。下手に言い慣れない呼称を使っていると、思わずいつもの呼称を使ってしまいかねないのよ」
「センカはんの場合、ついうっかりは危険やもんなぁ」
「確かに、隊長・・は危険ですよね。うっかりで言ったりすると」
「馬鹿にすんじゃねーよ!、いくらアタイだって、そのくらいは気をつけられる!」

 流石にプライドを傷つけられたのか、半分怒ったように言い放つ。

「では、なんと呼ぶか・・・ね」
「近衛でいいじゃねーか。周防も名前を呼び捨てにしてるんだしよ」
「あら、センカさんだけ少尉を呼び捨てにするなんて許せませんわ」
「だったら、おめーも呼び捨てりゃいじゃねーかよ」
「そんな事はできませんわ。そうだ、わたくしは近衛さんと呼ぶ事にしますわ。どうせ、いずれ名前で呼び合う間柄になる私達ですもの。問題はありませんわ」

 ピクン!れいかの言葉に、吉野の柳眉が微かに動いた。

「誰が、いずれ名前よ呼び合う間柄になるんですか!」
「あら吉野さん。言わなければおわかりになりませんの?鈍い人ですわねぇ。おほほほほっ」

 険悪になりつつあるムードをやぶったのは、抑え役のローズではなくさつきであった。

「いい加減にして下さい!下で待ってもらってるんですよ!」

 その声で、れいかも吉野もバツが悪くなったのか、大人しくなった。

「そうね。これ以上待たせておくわけにはいかないわね。では、こうしましょう。わたしとれいかは『神凪さん』として、センカは『近衛』と呼び捨てにする。いいわね?」
「仕方ありませんわね。本当は近衛さんとお呼びしたかったのですけど、どこかの誰かさんが反対なさるようですし」

 吉野は、キッとれいかを睨むが、その客を待たせている手前、よけいな時間をかけないようにと、口で反論するのは我慢する。

「あたいもそれでいいぜ。流石にこれ以上待たせちゃワリィしな」
「周防にはあとで私から言っておくは。吉野!」
「は、はい」
「買物に出かけているシーリス達には、帰ってからあなたから事情を説明してくれるかしら」
「はい、わかりました。注意するように言っておきます」

 シーリスとフローナは、世話焼き好きの吉野に一番懐いている。ローズから言うよりも、すんなりと分かってくれるだろう。ローズは自分の厳しさは理解しているのだ。幼いシーリス達でも、時折厳しく接しすぎると反省する事もあるが、なかなか自分の性格は直せないものである。

「では、そういう事で、さつき。お客様を御案内してさしあげて。それから、支配人への報告もお願いね」
「はい、分かりました。まかせて下さい」

 よほど、待たせ過ぎたと感じていたのであろう。はっきり返事をすると、さつきはロビーへと走っていった。

「でも、いったいどんな人なんでしょうね?神凪さんがお連れしたお客様って」
「さぁね、見当もつかねーよ。まっ、合ってみりゃわかるだろ」
「お上品な方なら良いのですけれど。センカさんのような方でしたら、わたくし困りますわ。一人だけでも暑苦しいのに、二人もいたら熱で倒れてしまいますわ」
「へん、あたいはれいかのような、トゲトゲのざーます女じゃなかったら、何だっていーさ。少なくとも耳が痛くなる事はなさそうだからな」

 再開される口喧嘩に、ローズは呆れはて吉野は溜息をつき、春蘭は二人の耳に聞こえるように、ポツリと呟いた。

「なんでもエエけど、お客はんが来たら喧嘩はやめときや。ホンマみっともないさかいな」

 やはり、春蘭は冷静である。


    



「随分と、遅かったね。何かあったのかい?」

 さつきが、神凪達の元に帰ってきたのは、たっぷり20分ほど経ってからであった。流石の神凪も、今回の自分の不始末が原因で、何かトラブルでも起こったのではないかと不安になっていたのだ。真澄の方はというと、売店においてあったパンフレットの見本やらを熱読していた。ときおり『キャー』とか『可愛い〜〜』や『素敵〜〜』などの小さな黄色声が神凪の耳に入っていたので、待たせ過ぎているとは感じるものの、さほど心配はしていなかった。今も、さつきが帰って来たのを一瞬顔を向けただけで、再びパンフに目が奪われている始末である。

「いえ、そうじゃないんですが。まぁ、いつもの事というか、毎度の口喧嘩が・・・・」
「はぁ、またか。あの二人もよくやるなぁ」
「口喧嘩って・・・まさか吉野がやってるんですか?」

 口喧嘩という単語が聞こえると同時に熱心に見ていたパンフを閉じ、さつきの方へと身体を向けた。流石に喧嘩という単語が気になったようだ。

「安心して下さい。吉野さんじゃありませんよ。まぁ、吉野さんもタマにはしますけど。まぁ、仲間内の一種の愛情表現のようなものですから、気にされる事はないと思いますよ」
「吉野ではない・・・じゃぁ誰が・・・・って、もしかして初代花組のトップ・スターだった神崎すみれさんと、琉球空手の達人桐島カンナさんの娘さん達じゃありませんか!」

 真澄の言葉に二人は目を丸くした。まさか、仙台にまで二人の喧嘩が聞こえているなんていう事は・・・と、二人の脳裏に嫌な考えが浮かぶ。。

「な、何故分かったんですか?」

 さつきが恐る恐る訪ねてみる。すると、思いもよらない答えが帰ってきた。

「吉野のお母様にいつも聞いてたんです。いつも、いつも、いつも、いつも、すみれさんとカンナさんは喧嘩してて、時にそれが羨ましく思う事もあったって。彼女達の喧嘩は愛情の裏返しなんだって。そこで、ピンッ!っときたんですよ。お二人の子供も同じなんじゃないかって。だって親って、そういった思い出を子供に話したりするもんでしょ?。しかも大の喧嘩友達の事は、滅茶苦茶悪し様に言ったりするんじゃないかと思うんです。愛情を込めて。そして、その事が影響して受け継がれたんじゃないかと」

 確かにありえる話ではある。と同時に、噂には聞いていたが、本当にれいかとセンカの母親達も、毎日のように口喧嘩に華を咲かせていたのか。と、しみじみ思い入る神凪とさつきであった。

「な、なるほどね。見事な推理といったところか。でも、自分の子供に滅茶苦茶な事を伝えるかなぁ」
「本当に嫌いだったら、口にすら出さないと思いますよ。そして、本当に好きなら、多少オーバー気味に話を飛躍させてもおかしくないと思うんです。妙にプライドの高いお二人だったと聞いてますし」

 センカ達の母親の帝劇での私生活いついては、数少ない話しか聞いていなかったが、センカ達を思い浮かべると、なんとなく分かるような気がした。たしかにプライドは高い二人だ。特にれいかのプライドは富士の御山よりも高いようにも思える。センカにしても、空手に関しては誰にも譲れない気迫を感じる。口喧嘩の時でも様々な罵倒が飛び交って、何を言ってるのか理解できなかった事も一度や二度ではない。真澄の言い分は意外と、正鵠を射ているのやもしれない。神凪はしみじみと思った。

「あえて、二人に関しては、自分の口からコメントするのは差し控えさせてもらうけど。真澄くんの言う事も間違っていないのかもしれないね」
「何にせよ、何時の時代でも喧嘩するほど仲が良い。ですね」

 さつきが綺麗に纏めあげた。

「それはそうとく、みなさん上で待ってくれてますよ。真澄さんの名前は出してませんが、一応大事なお客様だとだけ伝えていますから」
「みなさんって・・・もしかして全員いるんですか?」

 真澄は興奮しながら訪ね、思わず両手を握りしめる。

「残念ながら、シーリスとフローナは買物で出かけてるんですよ。あとのみなさんはサロンにいます」
「それでも吉野を除いて4人もいるんですね。どうしよう。なんだかドキドキしてきちゃった」
「大丈夫ですよ。みなさん良い人達ばかりですから。では神凪さん、後はよろしくお願いしますね。私は行くところがありますので」

 さつきは、軽くウインクして食堂の方へと去っていった。作戦第二段階のため、支配人室に向かうのである。

「さて、では行こうか真澄くん」
「は、はい」

 やや緊張した面持ちで階段を上がっていく。もうすぐ吉野に会える。一歩一歩、足を踏み出す事に、緊張が期待に変わっていくのを感じていた。

(あの扉の向こうに吉野がいる。そうだ、わたしは吉野に会うために来たんだ。いいえ、それだけじゃないわ。わたしは皆の代表で来たのよ。あの日黙って帝都に旅立ったお礼をしてくるって約束してきたんだから。まずは、これでもか!ってくらいに驚かせてやるんだから)

 あと30歩、20歩、10歩。しだいに顔がニヤけてくる。吉野はどんな顔をするだろう。考えるだけでもワクワクする。神凪が扉の前についた。すぐ後に真澄が立つ。 

「自分が先に入って吉野くんを呼ぶから、合図したら入ってくるといいよ」
「御協力感謝します!」

 神凪の言葉に、わざと海軍式の敬礼で応える。その姿に神凪は苦笑を覚えつつも、ゆっくりと扉を開けた。真澄は扉の影に隠れている。

「あ、おかえりなさい、神凪さん。あの・・・お客様はどちらに?」

 吉野が素朴に訪ねる。神凪が真澄に強力し、企んでいるとは夢にも思ってないだろう。

「ああ、来ているよ吉野君。君にとって大事なお客様がね」
「え?、あたしに・・・ですか?」
「ああ、そうだよ。どうぞ、入ってきて下さい」

 突然の成行きに、吉野は戸惑った。わたしにお客様?大切な?まったく身に覚えはないし、想像もつかなかった。しかし、次の瞬間、頭から爪先にいたる全身に稲妻が駆け巡った。

「はーい吉野、お久しぶり。元気だったかしら?」

 吉野は我が目を疑った、夢か現か幻か。それは現実であった。

「ま、ま・・・・真澄ーーーーーー!」

 吉野は勢いよく立ち上がり、想いの限りに叫んでいた。
 半年ぶりの、親友との再会の瞬間であった。



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