第八話『過去の遺産』



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 その日は、朝から皆元気がなかった。元気の固まりのようなシーリス、フローナ、そしてセンカまでもが暗い顔をしている。
 舞台稽古の時間においても覇気がなく、演技指導の三輪山宗田(みわやまそうた)が、何度注意しても一向に雰囲気は変わらなかった。

「これでは稽古になりませんね・・・・・・。仕方がありません、今日はこれまでにしましょう。でも、あまり時間に余裕がないのだから、明日からは気を引き締めて稽古に挑むこと。よろしいですね」

 そう言うと三輪山宗田は、ホールをあとにした。
 花組の面々は一言も口にしないまま、沈んだ顔で小道具を片付ける。

「ダメだな、ありゃ。完全に沈みきってやがる」

 2階観客席から、花組の様子を見ていた米田柾成は、渋い顔で溜息をついた。

「無理も無いですわ。神凪くんと輪墨さんの秘密を知ってしまったんですもの。それも悲しい過去を・・・・。皆、どう神凪くんと接してよいか迷っているのだと思います」

 米田の横に立つあざみが、心配そうな口調で言う。

「聞いちゃいけねえ事を聞いちまった。そう思ってるんだろうな。気まずくなるのも当然か。相手が異性だと余計やっかいになりやがる」
「こういう時こそ、同性の周防くんが神凪くんの話し相手になってくれたら良いのだけれど・・・・周防くんの傍に、神凪くんが隊長である事に納得しきれていない隊員がいますから、気兼ねしているのでしょう」
「・・・ローズか。まだ、納得できてねーか。周防の実力を知っているだけに、無理ねーかもなぁ」
「はい。実際、戦闘能力に関しては、神凪くんは周防くんに劣ります」

 米田は、その言葉にしばし沈黙してから、再び口を開いた。

「国どうしの戦争には優秀な軍人が必要だ。周防のような奴がな。だが、ここじゃ優秀な軍人なんて必要ねーんだ。輪墨が候補で終わったみてーにな」

 そうこぼした米田の目が、真剣な眼差しに変わる。

「輪墨は優秀な軍人だった。・・・・場合によっちゃ勝利のために部下に死んでこいと言える軍人だ。そして周防にも、そういったところがありやがる。帝撃構想を根底に対降魔仕官候補生としての訓練を受けた神凪と、人を殺すための軍隊教育を受けてきた周防との差だな。根っからの軍人って奴は、どうしても犠牲を伴う戦略も考えちまう。それじゃ駄目なんだ。どんな状況に陥っても、皆の命を優先する。そういう男でないと帝撃の隊長は務まらねぇし、隊員からの信頼も得る事はできねぇ・・・。ローズは、そこんトコロがわかっちゃいねぇ」

 米田は、苦虫を噛み潰したような顔になる。

「すぐに理解してくれるでしょう。ローズも物事を見極める目は持っている娘(こ)ですから」
「だといいんだがな」

 そうこぼした米田は、あらためて厳しい目つきで、舞台に残っている花組の面々を眺めて言う。

「だが・・・・神凪が知る偽りの過去で、ああも沈まれると、気が重たくなっちまうな」
「ええ、あの娘達が輪墨大尉の過去にある闇に隠された真実を知った時、どんな衝撃を受けるか・・・・」

 米田の横に立っているあざみは、あえて輪墨を大尉と呼び、真剣な眼差しで彼女達を見つめる。

「あいつらも、そして神凪も近いうちに真実を知る時が訪れる。確実にな・・・・・。だが、今は言えねえ、あんな真実は!」
「でも・・・・・輪墨大尉は帰ってきた。それが意味するものは・・・・やはり・・・・」
「ああ、何らかの手掛かりを得て帰ってきたとしか思えねぇ。・・・・でもよ、もう少しだけ待って欲しいのよ。せめて、あいつらが真実に耐えられるくらいに強くなるまで・・・・・。叶わぬ願いかもしれねぇが、そのためだったら俺の命をくれてやってもかまやしねえ」
「指令・・・・」

 あずみは、拳を堅く握りしめ苦悩する米田に、何一つかける言葉を見出せなかった。


    



「そうですか、鬼神の前に全滅ですか。良い部下であったのに・・残念です」

 深い闇の中に浮かぶ妖かしの炎に写しだされた人影に向かって、孔明が話し掛ける。

「原形を留めている者は皆無。彼奴らへの今後の対応、いかが致しましょう?」

 炎より発せられた男の声に亜里沙が応えた。

「捨ておくのです。鬼神が予想以上のものだと判明した今、これ以上の戦力投入は無意味になりかねません。また、執拗に手を出せば、こちらの居場所を悟られるおそれがあります。そのような愚をおかし、孔明様を危険にさらすわけにはいけません。」

 男に命ずる亜梨沙は、一糸まとわぬ姿で孔明に身を預けるように寄り添っている。

「鬼神の片腕、蝦千瞑は帝都の破壊をもって神銘の祭器を探しだすつもりのようですね。そのような手段だと帝都を守護する、例の帝國華撃團との衝突は避けられません。邪魔者同士が争って消耗しあってくれるのであれば、こちらとしても好都合。利用しない手はありません」

 孔明は、ゆっくりとした口調で答えながら亜里沙の髪に唇をよせる。

「では、我等はいかような行動を?」
「そうですね・・・・まず魔獣や術など、彼等に気取られる可能性の高い方法を使わずに探査を続けなさい。効率は悪いですが、邪魔されずに行動できるのであれば、それにこした事はありません」

 微かに紅のついた孔明の唇が、微かに歪む。

「それと、そなたの手の者から、特に隠密を得手とする者を、帝國華撃團の監視にまわしなさい」

 孔明の言葉に、亜梨沙はいぶかしんだ。

「孔明様。何故、華撃團ごときを監視するのです?連中は神銘器を狙う者達で無し、気にかける必要は無いと思われますが」
「ふふふ、確かに華撃團の存在はとるに足らない事柄。しかし華撃團は帝都を守護するこの國の機関、それゆえに情報は帝都全域に及ぶ高水準を誇っていましょう。我らはその情報網を利用するのです。我等が表立って動かない限り、華撃團が出撃する先には、必ず鬼神の手の者がいると言う事。また、鬼神どもが神銘の祭器の手掛りをつかんだ場合も、何らかの情報が華撃團に入りこまないとも限りません」

 楽し気に話す孔明の言葉に、亜梨沙はその意図に気がついた。
 亜梨沙の顔に笑みが浮かぶ。

「流石は孔明様。華撃團の動向さえ気をつけていれば、鬼神の動きを安全に察知できる。同じ探るにも、鬼神側よりも華撃團の方がはるかに簡単でありましょう」

 亜梨沙の言葉に、孔明は軽く笑って応える。

「仮に鬼神が先に祭器を見つけたとしても、心配するには及びません。祭器を祀る場所には守護封印がされているのは確実です。それも、かなり強力な封印が。それを解くにはしばしの刻が必要となるのは必定。あのような醜悪な鬼神が長時間人目にさらされておれば、必ず華撃團が出てきます。鬼神と華撃團がじゃれあっている間に奪い取る事は、そなたであればさほど難しい作業ではないでしょう」

 孔明の目が炎の中の男へと注がれる。その目は楽しげな目をしている。

「なるほど、我等は労せず利を得る。それは小気味良い」

 男は二人の会話を聞いて、ニタリと口の端を上げた。

「ただ、華撃團には月組という名の隠密部隊が存在するらしいので油断は禁物です。監視役の人選はあなたに任せますが、決して悟られない者をお願いしますよ」
「ふふ、隠密は我等の存在そのもの。配下の者に我に迫る隠密に長けた者がおります。その者を使いましょう。・・・いざとなれば拙者自ら動くまでのこと・・・・」
「では、そちらの件はよろしくお願いしますよ、半蔵」
「御意」

 男の返事を確認してから、孔明はゆっくりと手を振った。すると、目の前に浮かぶ妖かしの炎の色が青紫から赤に変わり、なんの変哲もない篝火(かがりび)に変わった。この炎に術を施し、離れた場所にいる半蔵と交信していたのである。

「あの者に任せて大丈夫なのですか?」
「彼なら心配ありませんよ亜梨沙。黒石の御霊石・・・服部半蔵。希代の忍は決して主を裏切りません。何があろうとも・・・。それに、月組とやらが優秀であろうとも、半蔵を捉える事などできはしないでしょう。諜報で忍に適う者は忍だけなのですから」

 孔明はそう口にすると、まだ何か言いかけた亜梨沙の口を自らの口で塞ぎ、そのままゆっくりと身体を沈めていった。


    



 花組が稽古をしていた頃、大帝國劇場の地下射撃訓練場では、周防が独り拳銃の訓練をしていた。長い時間、撃ち続けていたのだろう、いくつもの弾薬の箱が地面に散乱している。神経を集中し愛銃ピースメーカーの照準を的の中央にあわせる。右手でグリップをしっかりと固定しトリガーを軽く引く。部屋に響く轟音とともに、的の中央に穴が空く。

「見事なものだな。これだけの箱を撃ち続けても、的の中央を打ち抜き続けられるとはな。名ガンマンでもそうそう出来る芸当じゃない」

 突然、背後から声が聞こえてきた。周防には全く気配が感じられなかったが、声色に心当たりがあったので、つとめて平静を保ちつつ振り向かずに返答する。

「いえ、それほどの事ではありません。距離が近い上、集中して撃てますから。それに・・・・拳銃に関しては私よりも姉の方が実力は上です。さらに、その上には母やあなたのような方がいます」

 そう言ってからゆっくりと振り返った。そこには、腕を組み壁にもたれかかっているマイヤーがいた。

「マリアはともかく、俺はそれほどでもないがな」

 マイヤーは口元をほころばせて言う。周防には、その言葉が謙遜であると分かっていたが、あえてそれを言うのは控えた。

「それにしても珍しい。周防がこれだけのカートリッヂケースを消費する程、訓練に打ち込むとはな」
「そうでしょうか・・・」
「少なくとも、俺は今日初めてみた。ストレスが溜まっているのではないか?」

 マイヤーは下に落ちていた箱の一つを拾い、手でもてあそぶ。

「・・・・・そうかもしれません。無性に撃ってみたい気分でしたから」

 周防は、再び身体の向きをかえ的へと視線を向けた。

「原因は、神凪と輪墨の件だな。話は米田支配人から聞いている。後悔してるのか?」
「・・・少し。・・・・あそこで追求するべきではなかったかもしれないと。今の花組の状態は良くありません。その原因を私が作ってしまった。あきらかな失態です」

 愛銃ピースメーカーに、ゆっくりと弾を込めながら言う。

「では、なぜ状況を打破しようと動かない。輪墨とはともかく、神凪と話をして花組の雰囲気を良い方向へと導けくには、おまえが適任だと思っているのだがな」
「・・・・神凪少尉と気軽に話すのは、姉が心良く思わないでしょう」

 周防は動きを止め、銃を見つめる。黒鈍く光る銃に周防の顔が写る。その表情は暗く沈んでいるように見える。

「薄々は気付いていたが、やはりお前の花組隊長候補の件か」
「ええ、そうです。姉は私がニ代目花組の隊長として候補に上がった時、母以上に喜んでくれました。軍で高く評価されている私が、花組の隊長に相応しい・・・と」

 マイヤーは、当時の周防の事を資料の上で知っている。排他的なソビエトで日系人である周防は弊害を受けていたハズである。それなのに、逆境を乗りこえ部隊内で『白狼』と呼ばれる存在にまでなった事を。

 周防達が、帝國華撃團に配属されると決まった時、軍だけでなく、賢人機関の一部でも大きな反発があった。もともと周防は、ローズと共にモスクワ華撃団の次期隊員として期待されていた逸材であったのだ。それが、周防だけでなく、姉までが日本に取られる。ソビエト側としては非常に面白くない。しかし、モスクワ華撃団構想以来、日本と帝國華撃團には何度となく助けられた借りがある上、現モスクワ花撃團の副指令であるマリア・橘の意見も考慮され、帝國華撃團への配属が決まったのだ。
 配属が決まって以来、部隊内では周防を敵視する者が増えていった。曰く、祖国のために死ぬべき『同志』である者が、祖国を捨て日本に行く。国家機密である事柄だけに、詳しい事情を知らされてない者達にとっては、そう目に写ったのである。祖国での将来を捨ててまで帝國華撃團に入る事になったのだ。周防は隊長候補として。しかし、日本に渡る前に隊長候補でなく、隊員としての配属が決定した。周防は何も言わなかったが、ローズは抗議した。聞き入れられるはずがないと分かっているにも拘わらず。そんな思いを引きずって日本に来たのである。
 船に乗る頃には、ローズも自分なりに納得したつもりであった。ローズは、神凪の技量は高いと評価づけているが、周防と見比べると、どうしても周防に劣って見えてしまうのだ。戦闘能力、常に冷静な判断力が。そのため、ローズは今だ、神凪に絶対の信頼を寄せられないでいた。しかし、当の周防は、最初から花組の隊長という立場に興味は無かったのである。むしろ今では、現在の人選はベストだと考えている。

 周防は隊員人事に納得しているものの、ローズの気持ちを知っているがゆえに苦悩しているのである。

「マイヤー大佐。あなたはどう思われますか?神凪少尉よりも、私の方が隊長に相応しいと思われますか?」

 周防は、ピースメーカーの照準を的の中心に狙い込む。

「そうだな・・・・・純粋な戦闘能力という点、常に冷静沈着な対応ができる点では、おまえの方が上だろう。しかし、花組の隊長としてはどうかな・・・・・周防、おまえ自身は、どう考えている?。客観的に見て、自分が隊長に向いていると思うか?」
「勝利するために、闘う前から犠牲を覚悟するのが軍人。そして私は軍人です。帝撃入隊が決まる以前から、そう思ってます」
「なら、そういう事だ。気にする必要はない。そのうちローズも理解するだろう。適材適所という言葉を」

 マイヤーが、どことなく嬉しそうな言葉で告げた時、銃声が室内に鳴り響いた。
 真新しくセットされていた的には、ど真ん中に穴が開いていた。



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