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「米田支配人・・・・これが大事な用なのですか?・・・・・自分にはどうも合点がいかないのですが・・・・」
「そのうち分かるって。それより、どうだ神凪、おめぇも一杯・・・」
「いえ、結構です。任務中に飲むわけにはいきません」
「おめぇも、かてーなぁ。ま、その心がけは立派なもんだ」
吉野が輪墨と出会った頃、神凪と米田は墨田川の上にいた。ゆっくりと流れる川の上に浮かんだ屋形舟に乗船しているのである。
室内には膳が2つ並べられており、米田は酒を飲みつつ豪勢な料理をつついている。神凪は料理に箸はつけるものの、酒には一滴も手を出していない。任務を果たすべく神経を周囲に張り巡らせているのだ。酒など飲めようはずもない。
早朝、支配人室に呼ばれた神凪は、米田に『今日の昼、大事な用があるからおめえもついてこい』と言われた。おそらく護衛のためであろう。本来ならばあざみがこの任につくのだが、彼女は米田に他の用件を言い渡されていた。そのため神凪にお鉢が回ってきたというわけだ。が、しかし・・・神凪が連れてこられたのは屋形舟。しかも景色を眺めながら料理を食べるというのだから内心戸惑いを隠せない。とりあえずは言われるままに食事をしているが、これが大事な事だとはどうしても思えなかった。
「神凪。おめぇの考えている事はわかる。今の俺たちゃぁ、舟に乗って旨い飯食って遊んでいるだけだ。だがな、こういった場所でしかできない事もあるんだぜ」
「?・・・それはいったい・・・・・・」
コンコン
神凪が口を開きかけたとき、打ち木がなった。
「おっと、待ち人来たるってな。おう、こっちに移ってもらってくれ」
米田は船頭に向かって大きな声で言った。
「待ち人?」
「ああ、おめぇには黙っていたがな、今日はそいつに会うのが目的だ」
舟に軽い衝撃が伝わってくる。舟と舟が接触した感触だ。
人がこちらの舟にゆっくりと乗り移ってくる気配を感じた。神凪は移ってきた人数は二人だと瞬時に分析する。念のため、いつでも米田を護れるような姿勢をとる。
「失礼します」
ゆっくりと神凪の斜め後方の障子が開いた。
「おう、来たかのんだくれ」
「待たせてしまって悪いな、米田支配人」
大柄の男がゆっくりと中に入ってくる。がっしりとした体格が神凪の目を引いた。
「いや、待っている間、十分堪能させてもらったから気にしちゃいねーよ。そうそう、こいつは帝劇でモギリをやってる神凪だ。今日はあざみ君の変わりについてきてもらった」
「はじめまして大帝國劇場でモギリをやっています神凪近衛です」
「そうか、君が神凪くんか。話は米田支配人に聞いているよ。俺の名は『一条隼人』。米田支配人には『のんだくれ』と呼ばれているよ。不本意ながらね」
「のんだくれ・・さん・・ですか」
「何が不本意ながらだ。若い身空で、俺と同じくれえ飲むくせによぉ」
米田が笑うと、のんだくれも口の端をゆがめる。
「ええ!米田中将と同じくらい酒を飲まれるのですか?」
「まぁ、そこそこにな」
神凪は驚いていた。この世に米田と同格の酒豪がこの世に存在したというのだから無理もない。・・・・・世界は広い。
「それはそうと、後ろで待ってる御人を、早く紹介しちゃくれねぇか?」
「そうだな、今日はこいつに会ってもらうために、忙しいところをわざわざ来てもらったんだからな。おい修、米田支配人がお待ちかねだ。入ってこいよ」
のんだくれは肩越しに後方を見やり、外で待つ人間に声をかけた。
「わかった。では、失礼して・・・」
明るい声の男だ。腰をかがめ、ゆっくりと中に入ってくる。
「紹介します。こいつは俺の親友で羽山修(はやま しゅう)。ま、いつも遊んでばかりいるんで俺は遊び人の修って呼んでますがね。こいつが今回、米田支配人に合わせてくれと言ってきた男です」
「遊び人は酷いなぁ、のんだくれさん・・・」
「はっ、本当の事だろうが。いつもいつもフラフラしてるじゃねーか」
「まぁ、フラフラしてるように見えるのは認めますけどね・・・・・、はじめまして米田中将閣下、羽山修と申します」
のんだくれの言葉に、神凪の体が一瞬反応する。
(何!・・・米田中将閣下だって?・・米田支配人を中将閣下と呼ぶなんて一体この人達は・・・)
「なかなか面しれー奴だな。では俺も一応自己紹介しとくか・・・・俺が帝國華撃團指令長官の米田柾成だ。よろしくな」
「よ、米田中将!正体をバラしてよろしいのですか!」
「ああ、かまわんさ。そちらさんも、俺達の正体くらい知ってるハズだ。でなきゃ俺にサシで話がしたいなんて言ってくるもんか・・・。そうだろ?羽山さん」
「・・・・ええ、そちらの方が帝國華撃團『花組』隊長、純白の神武・改『真武』をあやつる神凪近衛海軍少尉・・・という事くらいは知ってます」
神凪は、動揺を抑えられなかった。帝撃内部の事を知っているとは、いったい何者なのか・・・・。
帝國華撃團はかつて、三度、軍のクーデター部隊に襲われた事がある。最初の銃砲が帝國華撃團を襲ったのは、西暦1925年11月9日の事であった。当時の海軍大臣が陸軍将校を駆り立て帝都に軍靴を響かせたのである。しかし、このクーデターは轟雷号で脱出した大神一郎と真宮寺さくらの活躍により事なきを得た。次に起きたのは西暦1932年5月15日、海軍将校が起こした『五・一五維新』と呼ばれるものであった。時の内閣総理大臣犬飼首相が帝國華撃團『花組』の活躍により一命を取り止めている。三度目は西暦1936年2月26日。またもや血気盛んな陸軍の青年将校のクーデターにより帝都が揺れた。俗に言う『二・二六』事件である。しかし、またもや帝國華撃團『花組』の活躍により、総理を初め多くの政府関係者がその命を救われた。『太正維新』以降のクーデター時、『花組』隊員は、ほとんどの隊員が子持ちという状況であったが、当時『花組』に変わって設立されていた対降魔部隊『宙組』と連携しクーデターを沈めたのであった。
これらのクーデター騒ぎに大きな危機感を感じた米田柾成は、『二・二六』以降、長い月日をもって軍内部から帝國華撃團の資料を廃棄、その所在すらも過去の物としたのだ。軍内部においても、今の若い世代で知っている者が何人いるか・・・。
だが、目の前に現われた修と名乗る男は、帝國華撃團に関するかなりの知識を有しているようである。油断ならない男だ。
「ほほう、そこまで知ってるとはな。かなり面白い立場にいるようだな」
キラリと光る眼鏡の下には、老練な軍人の鋭い目がある。それに気がついたのか、ふいにのんだくれが修の背中を叩いた。
「ま、とにかく米田中将閣下との会見の場は作ってやったんだ、じっくりと話しな。もし俺が邪魔だと言うのなら席をはずしてやるぞ?」
「・・・そうですね。のんだくれさんや他の大工の方々に迷惑がかかってはいけない・・・。できれば席を外していてもらえますか」
「分かった・・・。それじゃ米田支配人。俺は一旦向こうの舟に戻ります。こいつとの話が終わったら一緒に飲(や)りましょうや」
のんだくれは、杯もつような手で酒をあおる仕草をした。
「おう、話が終わったら酒盛りといこうぜ。積もる話もあることだしな」
のんだくれは微かに笑うと、米田達の乗る屋形舟をあとにした。
「さてと、話を始める前に、おめえさんの素性を聞いておこうか」
神凪にとって、今日ほど驚きの連続であった日はないだろう。得体の知れない男達、いつになく厳しい目つきの米田柾成中将・・・・・。微かな緊張が部屋の中に満ちる。
「私の素性・・・ですか。そうですね・・・・・・」
修の視界の隅に神凪の姿が写る。隙の無い姿勢、少なくとも修にはそう見えた。
(神凪近衛・・・聞きしに優る男のようだな。まぁ、あいつに言わせれば未熟者の一言で済ますんだろうが・・・。しかし、いい目をしている)
「うーん・・・少しワケがありまして、詳しく私の素性を明かすわけにはいきませんが、米田中将に納得していただける事だけは話ましょう。私は現在、帝国のさる諜報機関に所属している者です」
「帝国の諜報機関・・・・・・内閣か?」
「いえ、内閣に存在する物とはまったく異なる諜報機関です。そうですね、花小路伯爵に『吹雪』という名を問うてください。詳細が分かるでしょう」
神凪は、自分がこの場にいるため修は素性をハッキリと言わないのだと直感していた。
(俺は信用するに値しない人間だというのか・・・それとも・・・俺に言えない事が絡んでいるのか・・・)
「花小路伯爵に直接きく・・・か。面倒くせぇなぁ。神凪を警戒してるんなら問題ないぞ。こいつは信用できる男だ」
「ははは、神凪少尉が信用できる事は聞いてます。ただ、わたしの経歴に問題がありまして・・・」
修の表情に苦い色が浮かぶ。
「修さん。あなたの経歴と自分に何か関係があるのですか?」
「その・・・・色々とね・・・・」
「?・・・・」
修は軽く頭をかくと、意を決したように米田に向かって口を開いた。
「・・・・かつて陸軍に存在していた対降魔駆逐部隊の事はご存じですね・・・米田中将」
「!」
驚愕という表現がふさわしいのだろうか、修の言葉に反応し米田の目が大きく見開かれた。
「・・・・・・対降魔駆逐部隊?その様なものが陸軍に存在していたのですか!」
「そうです神凪少尉。現在は解体され存在していませんが、陸軍にも帝國華撃團と同じような部隊が存在したんです・・・・いや、作られようとしていた。と言った方が良いのかな」
修の口調は軽かったが、その言葉の節々には言いようのない力強さが感じられた。
「そうか・・・そうだったのか。おめぇ・・・・・奴に関係していたのか・・・・」
「・・・・・・」
米田の言葉に、修は何もいわず、ただまっすぐな目を米田に向けていた。
「米田長官。いったいどういう事なのですか?帝國華撃團以外に対降魔部隊が存在していたなんて・・・・・奴とはいったい・・・・」
神凪の動揺はピークに達っしていた。正体のわからない男から謎の対降魔部隊の存在が告げられ、米田中将も対降魔部隊の存在に肯定の意思を示している。しかも、自分には話せないというのだ。心中穏やかでいられるはずがない。この空気の中、神凪だけが蚊帳の外であった。
「・・・すまねぇな神凪・・・今、おめぇに話すわけにゃぁいかねぇんだ」
「!・・・・・それは、自分にも関係する事なんですね?」
「・・・・・・・」
「・・・分かりました。長官がそこまでおっしゃるんです、そうとうな事情がおありのでしょう。これ以上は問いません。ですが話せる時がくれば、その時は包み隠さずすべてを教えてくださいよ。米田支配人」
「おう、話せる時が来たら何もかも話してやる。それまで、ちょっくらまっててくれや。花組の連中にもその時話すからよ」
神凪の言葉に米田の表情は一転し、いつもの憎めない笑顔に戻っていた。
(すまねぇ・・・神凪。こればかりは言えねぇんだ・・・奴に関する事だけはよぉ)
「さてと、修さん。おめえさんの素性について大方は分かった。それで、俺に話したい事ってのはいったいなんだ?」
米田と神凪の顔が修に向けられる。
「え、ええ・・・その事なんですが最初に知っておいて欲しい事があります・・・・これは特秘事項に触れる事なので、そのつもりで聞いてください」
「と、特秘事項・・・・・」
「・・・・特秘事項とは尋常じゃねぇな・・・何かおこったのか?」
「はい・・・実は・・・・・独逸(ドイツ)が・・・・・落ちました・・・・・魔の者の手によって」
修の発言とともに部屋の刻が凍った。神凪の体は硬直し、米田の手から杯が落ちる。
それは、春も過ぎたある快晴の日、太陽が頭上にさしかかろうとしている刻のことであった。
時代の流れが屋形舟とともに・・・、静かに・・・、ゆるやかに隅田川を下っていく。
帝國華撃團を中心に世界が動き出したのである。
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