第三話 運命の絆





 心地よい日差しがガラス窓を通し部屋の中に広がっている。
 清潔感ただよう白いカーテンに、病院にしては今時珍しい板張りの壁。
 小さな机と一つのやや大きめの看護ベット。
 吉野はその白い看護ベットで眠っていた。

「そうか、意識の方はまだ回復しそうにないのか」

 センカは目の前の看護ベットで眠っている吉野を見ながら言った。
 センカの横にはさつきとれいかが並んでイスに座り、少し離れた机の前には白い医療服を着た青年が落ち着いた物腰で机にもたれかかるようにして立っていた。

「ああ、なんとか神霊医療で埋没した精神の方は、引き上げる事ができたんだけど、意識を戻すところまでは…………まあ、こればっかりは時をまつしかないな。いつ目覚めるかは『神のみぞ知る』ってね」
「いい加減な返事ですわね。医者ならもう少しはっきりした答えを出してもらいたいですわ」

 若き神霊医師にれいかがくってかかる。

「れいかさん。めのじさんは吉野さんを助けてくださった方なんですよ。いくらなんでもその言い方は失礼ですじゃないですか」

 さつきはれいかに向かって、たしなめるように言う。

「あら、わたくしは本当の事を言っただけですわ」
「ははは、これは手厳しいなれいか君。でも、一言だけ言わせてもらうと、オレは本来は医者でなく唯の薬剤師なんだぜ。それがたまたま神霊治療が出来るから医者まがいの事をしてるだけだよ」

 男は苦笑いを浮かべ、れいかに向かって言った。
 身長170cm、25才のこの男はこの御徒町前病院の中でも若い薬剤師だ。神霊医療の心得があるため特別の人物に限り神霊医師として動く事がある。そして、その対象となる人物の中には当然帝劇関係者も含まれている。そのため彼女達は彼を薬剤師と呼ばずに医者と呼んでいるのである。
 通称『めのじ』。それがこの男の呼び名であった。
 もちろん本名ではない。めのじの本名を知る者は少なく、この三人の娘達も、めのじの本名は知らなかった。いや、三人どころか、この病院内においてもめのじの本名を知る者は院長だけである。普通ならそのような者が病院で働けるはずがないのだが、めのじはこの病院で神霊治療をするという条件で本名を秘匿したまま働く事を許されているのだ。

「ところでめのじよ。精神が埋没するってどういう事なんだ?あたいには今いち理解できねえんだよな」
「そうですわね。わたくしも専門的な知識はあまりありませんから、やさしく教えて頂きたいですわ」
「あ、あたしも聞きたい」

 三人はイスから立ち上がり、めのじを囲むように口々に言う。

「わかった。じゃあ簡単に説明しよう。まず精神が埋没するというのはだね、人間の心の奥にある深層心理の奥底に入ったまま出てこなくなる事をさすんだ」
そう言いながら角メガネの位置を正す。磨きぬかれたメガネの向こうには、ややタレ目ぎみだが薬剤師、神霊医師としての自覚と誇りがその目には宿っている。
「しん…そ…う…しんり?なんだよそりゃ」
「まあ、自分でも理解できない心の事だね。たとえて言うと『夢』がそれに近いかな」

 めのじは紙に夢の文字を書きながらそう答えた。そしてそれを三人に向ける。

「夢?」
「ああ、そうだ。夢ってのは深層心理の鏡とも呼ばれているからね。キミ達も夢はみたみはあるだろう?しかも、たいていの夢が意味不明だったりする」
「ええ、確かにそんな夢もたまにみますわ。なにもない砂浜の上でただ海をみている夢などは、目が覚めてから考えても何故そんな夢をみていたのか理解できませんわね」
「うん、まさにそれだ。自分でみようと思っても自由にみる事はできない夢、内容が良く分からない夢。まさにそれが深層心理の断片なんだよ」
「うーん。なんとなく分かったような気がするな」

 めのじの説明に、センカも少しは納得したようだ。腕をくんでしきりにうなずいている。
 
「じゃあ、吉野さんはトランス状態のような事になっていたんですか?」
「へえ、さつきちゃんは難しい言葉を知ってるね。まあ似たようなものだけど少し違うな」
「どこがどう違いますの?」
「ああ、トランス状態ってのは深い眠りについた状態を差すんだ、この場合は脳波は一定じゃなく、レム睡眠にもなることもある」
 
 突然の難しい専門用語に三人の顔が曇る。

「な、なんですの?その脳波とかレム睡眠というのは」
「もっと分かるように説明してくれよ」
「あたしも理解できないかなー、なんて。あははは」
「え…あ、ああ、そうだね。えーと、脳波というのは頭の中の脳が出している人間には聞こえないリズムのようなもので、脳が生きている限りリズムをとりつづけているんだ。心臓の鼓動のようにね。で、レム睡眠は夢を見ながら眠っている状態をそう呼んでいる」
「リズムに夢ねえ。頭ん中でリズムをとり続けてるなんて、なんだか変な気分だな」
「ま、まあ言わんとしている事は理解できましたわ」
「だいたいは分かりましたけど、トランス状態でなかったのだとしたら………だったら吉野さんはどうなっていたんです?」

 さつきは吉野の顔を見た。今は小さな寝息を立てている。

「うん。吉野くんの場合は脳波に乱れもなく一定で、しかも起きている状態だったんだ」
「起きている状態?」
「ああ、変だと思うかもしれないけどね。起きてはいるけど目を覚まさない、精神と身体が繋がっていない。それが吉野くんの状態だったんだ。ただ、今は脳波のほうも落ち着いてるから、さつきちゃんの言ったトランス状態が現在進行している」
「ふーん。だったらめのじの神霊治療ってのは起きて目を覚まさない吉野を、眠って目を覚まさない吉野にしただけって事だな」
「そう言えばそうですわね」

 センカとれいかの言葉にめのじは渋い顔をした。

「おいおい。おまえらたいした事ないように言うけど、今の医学や科学では不可能な事をしたんだぞ。俺は」
「え!そうなのか?」
「そうですの?」
「おう、そうだ。だから米田さんも俺の所に吉野くんを連れてきたんだよ。帝劇の施設じゃ手におえないのが分かっていたんだろう」
「なるほど。あんた、本当に凄い奴だったんだな」
「はははっ。恐れいったか」
「その程度の事で威張らない方がよろしくてよ。品性が疑われますわ。めのじさん」

 そう言いはなったれいかに、後ろからさつきとセンカが冷ややかな目で見つめた。

(いつもくだらない事で威張りちらしてるのは何処のどいつだよ)
(れいかさんって、前々から思ってたけど、本当に自己中心派ね)

「ははは、こりゃまた………。うん、威張るのはやめておこう」
「それが良いですわ。めのじさんは聞き分けがよろしいですわね」
「余計な敵を作らないのが俺のモットーだからね」
「……何かひっかかる物言いですわね」
「いや、気にしない気にしない」

 要領よくうけながすめのじを見たさつきは、センカにも見習って欲しいと思わずにはいられなかった。

「それはそうとよめのじ、米田のおっちゃんはどうしたんだ?こっちに来てたんじゃないのか?」
「言われてみれば、米田支配人の姿を見かけませんでしたわね」
「それに、あざみさんもだぜ。さつきは何か知ってるか?」
「ええ、たしか万世橋前に行っているはずですよ。なんでも暴走事故をおこした自動蒸気二輪の運転手を引き取りにいくとか言ってましたけど」

 さつきはおとがいに指をあて、記憶を呼びだし二人に話す。

「それなら俺もさっき患者さんから聞いたよ。なんでも15、6だかの少女が万世橋にバイクで突っこんだらしい」
「万世橋に?またハデな事しでかす奴もいるんだな」

 センカは呆れた口調で言った。

「何故、米田さんとあざみさんが、その暴走少女を引き取りに行きましたの?」
「さあ、そこまでは……あたしも詳しい話は聞いていませんから」

 二人の会話にめのじはニヤリと笑う。

「新しい仲間なんじゃない?その暴走少女ってのが。だから、わざわざ米田長官とあざみ大尉が出向いたんだろう。たしか初代花組にも似たような人が一人いたと記憶しているけど……機械を扱わせたら右にでる者はいないと言われた娘が」

「あっ!」
「ををっ!なるほど」
「そうか!めのじさんって頭良い!」

 腕を組んで笑うめのじをさつきは尊敬のまなざしを贈った。
 しかし、それに反発する者もまた横にいる。

「そ、その程度の事はわたくしも想像していましたわ。ただあまりにも簡単すぎる答えでしたから、口にしなかっただけですわ。おほほほほ」
「へっ、嘘ばっか……」
「な、なんですって!センカさん、あなたの暴言、今日という今日は許すわけにはまいりませんわ!」

 センカの言葉に顔を紅潮させたれいかは、センカを指差し声をあげた。

「おもしれえ、やれるもんならやってみな。このおかめ!」
「お、おか、おか……キイイイイイッ」
「おいおい、二人とも。ここは病院なんだから、少しは自重してくれよ」
「そうですよ。喧嘩なら外でやってください」

 と、その時、部屋の角に備え付けられている電話が鳴った。

「まったくこんな時に……二人とも、電話にでるから騒がないでくれよ」

 めのじは今にも取っ組み合いが始まりそうな二人をさつきにまかせ、電話の受話器を取った。

「はい、めのじです……」
「うぬぬ、電話が終った時があなたの最後ですわよ」
「へっ、かえりうちにしてやらあ」
「……なんで、この二人はいつもこうなるのかしら……」

 険悪なムード漂う病室だったが、めのじの話声で緊張は急転間する事になる。

「なんですって!はい……はい、神田橋に……わかりました。ではただちに二人をそちらにお送りします……は?、吉野君ですか?いえ、まだ何とも……ええ、もう起きても良いはずなんですが……」
「お、おい。なんかあったみたいだぞ」
「そのようですわね」

ボソリ
「……めのじさん……ああいう風に真剣な顔していると素敵な人なんだけどな……」
「あら?」
「おお?さつきー。おめえめのじに気があるのか?」

 さっきまでの喧騒はどこへやら、二人はさつきの呟きを見逃さなかった。

「素敵な方じゃないですか。ただいつもの表情がだらしない感じがしますけど、優しいし理解力はあるし怒りっぽくもない。理想の男性像としては良いと思いませんか?」

 顔を赤らめ、言い訳するさつきを期待していたのだが、実際はすました顔のそっけない返事に、センカとれいかはつまらないといった顔になる。

「……なんか、反応が面白くありませんわね」
「そうだな……」

 流石はさつきだ。男の誘いを完璧に断わり続ける事128人!この百戦練磨のつわものにかかれば、センカとれいかのイヂワルな攻撃も、いとも簡単に受け流す。センカも言葉を受け流す事を覚えれば立派な女性なんだが……ハア。

「おい、大変な事がおきたぞ……って、どうしたんだ二人とも気の抜けたような面は。さっきまでものすごい形相だったのに」
「なんでもねえよ……」
「そうですわ、別にどうって事ありませんわ」

 いまいち理解に苦しむめのじである。

「そんな事よりもめのじさん。いったい何が大変なんですか?」
「ああ、そうだった。あざみさんからの電話で、神田橋に魔獣が現われたそうだ」
「なに!魔獣だって!」
「!!」

  センカとれいかは、めのじの言葉に再びその目に闘気をやどす。

「ああ、そうだ。現在、上野で警戒にあたっていた陸軍の一個小隊が現場に急行、応戦しているらしいが、どのくらいもつか……」
「ったりめえだ!やつら相手じゃ普通の人間には分が悪すぎるぜ。れいか!一時休戦、魔物退治だぜ!」
「分かりましたわ。あなたを相手にする事より、そちらの方が大事ですものね」
「真轟雷号は8番ゲートに向かっているらしい。そこで神武改に乗り込んでくれ」
「ああ?、8番ゲートは神田橋から、かなり外れてるじゃねーか」

 めのじの言葉にセンカは声を上げる。

「しかたないさ、帝都拡張計画で神田付近の12番ゲートが使用不能なんだ、それになにも走って行けとは言ってない、オレが車で送るよ。センカはともかく、れいか君じゃ着くのに20分はかかるだろうからね。それにたとえセンカでも体力をこれ以上消耗させるわけにわいかないだろう?」
「そりゃそーだ。いくらあたいでも今から走って即戦闘はちょっときついぜ」
「わたくしは走って行くなんて、考えたくもありませんわ」
「よし、ではさつきちゃん。キミはここで留守番していてくれ。では行くとしようセンカ!れいか君!」 
 
 めのじはそう言って部屋の扉に手をかけようとした。
 
「まってください、めのじさん!運転はあたしがします」
「え?」
 
 さつきの言葉に三人が振り返る。
 
「めのじさんは吉野さんを見ていて下さい。まだ目覚めていない吉野さんにもしもの事があった時、彼女を助ける事ができるのは、めのじさんしかいないんですから」
 
 その場にいた全員がいまだに眠り続ける吉野を見る。安らかな顔だ……。
 
「そだな。今の吉野にゃ、あんたが付いていてやらねーとな」
「めのじさん、運転はさつきさんに任せて、あなたは吉野さんをお願いいたしますわ」
「車の運転なら任せて下さい。こうみえても車の運転には自信があるんです」
 
 三人の乙女にそう言われて、めのじはニコリと笑い、うなづいた。
 
「うーん……それが最良の選択かもしれないな。よし!、運転はさつきちゃんに任せて、オレはここに……吉野君のそばに残る事にしよう」
「よし、そんじゃいくぜ」
「憂さ晴らしに叩きのめしてさしあげますわ」
 
 めのじは胸ポケットから銀色のカギを取り出し、さつきに渡す。ダークシルバーに塗られたMENOの文字が格好良い。
 
「車は病院裏に止めてある黒いやつだ。パワー、スピードは折り紙付きだから気をつけるんだよさつきちゃん」
「はい!」
 
 会心の笑顔である。………………ふむ、さつきにもファンができそうだな。

    



 帝都東京郊外にある小さな丘に、一つの洞窟があった。
 広大な森の影に隠された名もない洞窟だ。
 入り口は人一人がなんとか通れる程度のものだったが、中は大きくくり貫かれたような空間が広がっている。中に入ると裂け目から漏れる陽光だけが唯一の明かりである事がわかる。しかし、そのかすかな陽光でも彼らには十分なる明かりであった。
 一つの影が動く。

「孔明(こうめい)という輩が、『天穿つ矢』を求め動きはじめたそうです。蝦千瞑(かせんめい)さま」
「孔明、あの軍師孔明か?」

 一つの影が頭を垂れると、その前にうっすらと緑色の光をまとった人物が姿を現した。

「左様にございます。紅の御霊石(みたまいし)、孔明であります」
「なるほど。ついに御霊石どもが目覚め始めたか。ふむ、これはあのお方に御報告せねばなるまい」

 蝦千瞑と呼ばれた人物は、その身に纏わりついている緑光をうねらせながら影を指差した。

「今よりわたしはしばしの間帝都を離れ、あのお方の元へ行く。妙兼(みょうけん)よ!わたしが帝都を留守にする間おまえが『天穿つ矢』の探索にあたれ!」
「御任せください。この妙兼!蝦千瞑様のため、あの御方のため必ずや『天穿つ矢』を探し出してみせましょうぞ」
「その言葉覚えておこう。決して孔明や他の御霊に先を越されるでないぞ」
「御意!」

(『天穿つ矢』必ずこの妙兼が探し出してみせる。いかなる手を使ってでも……くっくっくっくっく)


    



「これがめのじさんの蒸気四輪のようですね」
「へえ、これがめのじの車かあ」
「黒い蒸気四輪?、何処のメーカーの物なのかしら……スマートな形に低い車高……は、幅の広いタイヤ……まさか……この車は『クレング』!」

 漆黒の車体を見つめていたれいかは、突然驚きの声を上げた。

「知ってるのか?」
「写真で見た事があるだけですけれど、間違いありませんわ。イタリアのアルツグレッグ社製『クレング』…………スピードだけなら世界でも十指に入る蒸気四輪ですわ。まさか帝都で……いいえ、日本で本物を目にするなんて……」
「そんなに凄い車なんですか?……めのじさんって本当に何者なんでしょうね」
「さあな、そのうち話してくれるだろ。それよりも早く行かないと!」

 めのじの正体に疑問を感じながらも、さつき達はクレングに乗り込む。今はめのじの事よりも魔獣が先だ。

「最初からとばしていきますから、シートベルトはしっかりと締めてくださいね」
「分かった!」
「ええ、分かりましたわ。でも、どうして助手席に座ってはいけませんの?センカさんの隣はどうも……」
「なんだと!こっちこそテメエの横なんざ座りたかねーよ!」

 諦めたのか、それとも運転のために集中するためか、さつきは再び口喧嘩を始めた二人を止めずに、車のエンジンを始動させ、ブレーキペダルを踏みなふがらアクセルをふかす。

「二人とも、前を向いて座ってくださいよ。そうじゃないと大変な事になりますから」
「え?……お、おい、そりゃどういう意味なんだ?」
「た、大変な事ってなんですの?」

 さつきは軽く後を振り向き、二人の質問を無視して言葉をつむいだ。

「そうそう、助手席になぜ座ったらいけないか聞いてましたよね?助手席って事故での死亡率が一番高いんですって」
「へ?」
「え?」

 何を告げられたのか二人が理解する間も無く、さつきはブレーキを離す。溜められていた力が一気に噴き出した。
 ギュンッ

 前輪が少し浮いたような気がしたとたん、『クレング』はもの凄い勢いで走りだす。『ロケーットスタート』。発進時に一気に発進速度域を高速域にまでもっていく蒸気四輪レースでの高等テクニックである。加速にかかるGが三人を襲う。

「す、すごい加速!これなら3分とかからないわ」
「ちょ、ちょっとさつきさん!は、速すぎるのではなくて?」
「うをををっ。ぶ、ぶつかるううううううううう」

 センカの悲鳴どうり、眼前に建物が迫ってくる。速すぎて一気にコーナーまで来てしまったのだ。

「しゃべらないで!舌噛みますよ。……それっ!」

 さつきはアクセルをコントロールしながら、ギアを変えハンドルを振る!
 ギョキョキョキョキョキョッ
 タイヤと地面が擦れ、白煙があがる。
 四輪ドリフト!テールスライドから入る超高等テクニックである。
 俗にデイトナドリフトと……言わないか普通。

「邪魔よ!」

 ちんたら進む他の車をごぼう抜きにして爆走していくクレングは、さながらジャングルを駆け抜ける黒ヒョウのようであった。心地よいスリルと快感がさつきの身体を突き抜けて行く。しかし、同乗車にはとっては拷問以外のなにものでもない。なまじ背景が見えるぶん真轟雷号より体感速度が桁違いに速い。そして……さつきを止められる者はいない……。

「ひえええええええっ、と、止めてええええええ」
「ギャアアアアア、うをををををををっ、ひいいいいいいっ」

 本名『小早川 さつき』
 のちの子孫に一人の婦人警官が現われるかどうかは、定かではない……。


    



「さて、オレもただ見守っているだけじゃダメだな。よし、脳波測定をもう一度してみるか」

 めのじは脳波測定機を取りに、機材室に向かった。
 部屋には吉野一人が残される。
 静かな、時折風の入り込む明るい部屋に少女が一人。
 窓の外から微かに音が聞こえる、車の音、蒸気の音、人々の往来のざわめき……。

 カツーン、カツーン、カツーン

 廊下を歩く足音が聞こえる。めのじ?いや、この固いクツが奏でる独特の音はめのじではない。
 足音は吉野の部屋の前で止まった。

 コンッコンッコンッ

 ドアをノックする音が部屋に響く……しかし、部屋の中で唯一返事をする事の許された少女は、まだ目覚めていない。

「失礼します」

 若い声の持ち主は返事がないため、一瞬ためらったがドアのノブに手をかけその扉を開いた。風がその人物の顔をなでた。サクラの匂いのする爽やかな風だ。

「神凪 近衛(かんなぎ このえ)少尉!帝国海軍真宮寺大佐の……あれ?……いない?」

 神凪は殺風景な部屋を見渡した。

「おかしいなあ、米田中将の関係者はこの部屋だと聞いたんだけどなー?」

 首を捻りながら若い海軍将校はつぶやいた。

「おや?誰か寝てる……」

 神凪は部屋の奥で眠り続けている吉野に気が付いた。
 ベットの頭部が奥に向いているため、どんな人物が眠っているのかは、この位置からでは判断しにくい。

(誰が眠っているんだろう?帝撃関係者かな?……でも、帝撃本部には最新鋭の医療機関が設備されていると聞いているし…………)

 これからどうして良いのか分からなかった神凪は、とりあえずベットで眠っている人物を近くで確認するためにベットに歩み寄る。
 ベットの側まできた神凪はベットに横たわる吉野を見て、息を飲んだ。

(な……なんてかわい……。い、いや、そんな事を考えている場合じゃない。この娘(こ)はいったい何者だ?帝國華撃團に関係あるのか?)

 ついこの間までむさ苦しい男ばかりの海軍士官学校にいた神凪にとって、吉野の美貌は衝撃である。いや、今まで生きてきた20年の中でもこれほどの美少女と、何人に出会ってきただろうか。神凪はその顔に似合わず恋愛の経験は無かった。異性への興味が無いわけでもない。げんに吉野を目の前にして、かなり緊張している事からもうかがいしれよう。しかし、それが恋愛まで進む程、神凪は異性と交流しようとする気はなかった。原因として幾つかあげられると思うが、彼の姉の存在が最も大きいのかもしれない。
 神凪の名誉のため一つことわっておくが、彼はシスコンでは無い。たしかにあこがれのような物はあった。彼女の姉『神凪 弥生』は容姿端麗才色兼備、文武も秀でた完璧な女性であった。
 しかし、近衛が姉のもっとも好きだった部分は容姿でもなく、文武に秀でたところでもなく、彼女の一本芯の通った心だった。弱い者にも強い者にも分け隔てをせず、相手のためになる事であれば叱咤もする。弱きを助け強きを……などといった片寄った見方もしなかった。彼女はいつも中立の立場をとっていたが、日和見などせずに自ら進んで双方に歩みよっていく。中立には珍しい行動派なのである。
 そんな弥生は近衛にとっては三国一の自慢の姉であった。
 だが、その自慢の姉はもうこの世にはいない。美人薄命とはよく言ったもので、弥生も若くして流行病でこの世を去っている。
 そんな姉を持ったためか、少々女性を見る目が厳しくなっているのかもしれない。
 心まで愛する事の女性に彼はまだ出会っていないのだ。

「しかし、妙だな?どう見ても入院しなければならないような娘には見えないぞ」

 神凪は吉野の顔を覗きこみそうつぶやく。顔の血色は良い、あたりに松葉杖が見当たらない所から身体に障害があるようにも見えない。部屋の角にある机も奇麗なものだ。入院患者の部屋の机にはなんらかの資料や機具が置かれているはずだ。ただ健康な人間が眠っている様にしか見えなかった。

「そこにいるのは誰だ!」

 突然、部屋の扉から声がした。
 神凪は弾けるように部屋の入り口へ向き直る。

 (な!気配がまるで感じられなかったぞ!)

 神凪は声を発てず、心の中で唸っていた。

「君は誰だ吉野君に何をしている!いや、そもそも誰の許可を得てこの病室に入ってきているんだ!」

 男はめのじであった。両手に色々な機材を携えている。
 スキあらばかかってきそうな雰囲気だ。

「どうした!答えられないのか!」

 その言葉に我に戻った神凪は姿勢をただし頭を下げた。

「勝手に入って申し訳ありません!一階受け付けにて米田中将に取り次ぎを願いましたところ、この部屋を指定されましたので……」
「は?米田中将だって?。って事はあんた帝國華撃團の関係者か?」

 予想だにもしなかった神凪の返答に、めのじは面喰らってしまった。

「はっ!本日付けを持ちまして帝國華撃團「花組」に配属されました『神凪 近衛』であります!」
「なんだ……帝劇の隊員なのか……驚かすなよ」

 めのじは肩の力を抜き、破顔した。

「すみません。ノックしたのですが返事がなかったものですから」
「ははは、いや、うん。そんなに謝る事はないよ。よくよく考えたら、鍵をかけずに部屋を空けた自分が悪いんだから。……そうか、君が帝劇「花組」の新しい隊長か。……あ、そうそう、自己紹介がまだだったな」

 めのじは機材を床において、神凪の前に進みでた。

「オレはめのじ、この病院の薬剤師で帝國華撃團とは神霊医師として交流している。めのじってのは本名じゃないんだけど、みんなにはそう呼んでもらっているから神凪君もそう呼んでくれ」
「はい。でも神霊医師とはすごいですね」
「お、わかるかい?」
「はい。昔士官学校に入学したての頃、先輩に話を聞いた事があります」
「へえー、その先輩よく知っていたな」

 一気に和やかな雰囲気に変わる

「あ、それより米田中将はどちらにおられるんでしょうか?」
「おっと、そうだったね。米田さんは今、「花組」をひきいて出撃中だ」
「出撃!魔物が現われたんですか!?場所は?隊員は何名出撃しているんですか?!」

 神凪はずいっと、めのじにつめよる。その顔にはあせりが含まれている。着任の日に魔物が現われ、その現場に隊長として自分がいないというもどかしい思い……。

「まあ、落ち着いて」
「落ち着いてなどいれません!早く場所を!」
「今から行ってもとうてい間にあわないよ」
「しかし……」
「それよりも、君にぴったりの役目があるぞ」

 めのじはゆっくりと看護ベットのそばに歩み寄る。

「自分に?……その役目とは?」
「うん、この娘(こ)のそばにいてやる事だ」
「……はあ?」

 神凪はめのじの言葉に困惑の表情を浮かべる。

「それの何処が自分に合う役目なんですか?そもそも、その女性はいったい誰なのですか?」

 それを聞いためのじは苦笑する。

「彼女の名前は『真宮寺 吉野』。ちょっとした事件で昏睡状態になっているんだ」
「真宮寺!まさか、真宮寺大佐の御息女!?」
「へえ、真宮寺大佐を知っているなんて、流石に海軍の人間だな」
「もちろんです。真宮寺大佐の名前を知らない人間など海軍にはいません。唯、あれほどの方が今だに大佐の地位に甘んじているのが不思議でなりませんが……」
「まあ、大きな戦争がなければ、そうそう昇進するモンでもないよ。それに、現在海軍には少将が多すぎるほどいるからね。その方達が昇進、あるいは退役するなりしないとね。でも……ここだけの話だけど……」

 めのじはふいにヒソヒソモードに突入した。神凪も興味津々の顔で乗り出してくる。

『実はね、真宮寺大佐の昇進にはウラがあって、わざと昇進させてないらしい』
「なっ!そんな馬鹿な!いったい誰がそんな話を!」
『声が大きい!この話は米田中将から聞いたんだよ。なんでも、ある計画があって、そのためには少将以上の地位は邪魔なんだそうだ』
『それはどういう……?』
『うーん、たぶんこういう事だと思うよ。大佐までなら、ある程度自由に行動できるけど、少将ともなると秘密裏に行動するのが難しくなるからなんじゃない?』
『秘密裏?』
『かつての三笠のような大きな計画があるとしたら?』
『!』

 めのじの言葉に思わず息を飲む。たしかにあれ程の計画があるとすれば、情報化が進み諜報活動技術も向上した現在、少将の地位で秘密裏に……とは難しい。かつての三笠も魔の者にその情報が知られていたといううわさも聞いた事がある。

「そうか、そんな理由が……」
「まあ、そこまで大きな計画があるかは、分からないけどね」

 神凪は心の中でうなった。尊敬してやまない真宮寺大佐の秘密を知った事に。そして、このめのじと言う男、国家機密とも言える事を米田から聞いているとは……不思議な男である。

「しかし……いいんですか?自分にそんな話をして」
「………やっぱりまずいかな?」
「当然でしょう。まだ自分が本当に花組の隊長かどうかはっきりしていないのですから」
「……諜報員の可能性もあると?」
「そういう事です」
「それは大丈夫だろう。これでも人を見る目には自信があるからね。君、神凪君はウソをつける人間では無いよ」
「ありがとうございます」

 めのじは軽くうなづいたと思うと、ポンと手を打った。

「おっと、こんな話は今どうでも良いんだったな」
「あ、そちらの……吉野君でしたか?」
「そうそう、彼女のそばにいてもらう事だったね」
「まあ、そんな話でした……」

 ふいに神凪の顔が曇る。

「どうした?彼女のそばにいるのは嫌かい?」
「い、いえ。そうではありません。……そうではありませんが、これから仲間になる者達が戦っている時に自分が何もしないというのは……」
「そんな事はないさ、吉野君だって「花組」の一員なんだから」
「ええ!彼女も「花組」の!」
「そう、花組の新しい隊員だよ。聞いてないかな?昨日上野で事件があったのを」
「まさか、彼女が怪物を倒したという少女なのですか?」
「そのまさかさ。吉野君のおかげで死人を出さずにすんだんだよ。もし、その時に吉野君がいなければ、花組が駆けつけるまでに何人犠牲者がでていたか……」

 神凪は驚きの表情で吉野を見る。吉野の寝顔からは想像も出来ない。………でも、何故眠っているのだろうか?その疑問は、めのじの口から続けて語られた。

「しかし、生身で30分以上真剣をふるい、霊力を放出し続けた代償に…………この通り、昏睡状態におちいってしまったんだ」
「なっ!………30分以上も!」

 めのじの言葉に神凪は言葉を失った。このはかなげに見える少女が……こんなに細い腕で……。
 通常、真剣をふるう場合、連続して全力をだせるのは5分程である。短いように思えるが人間が全力で事に当たれる時間はその程度なのだ。ならば、戦国時代の武士はどうして長時間を戦う事ができたのか。それは戦いの方法にあった。全力を出さず、刀を振らずに敵に身体でぶつかっていく戦法を用いていたのだ。乱戦においては、太刀よりもむしろ短刀が最後に勝敗をきめる。
 重量約1kg前後、振れば重心が移動する反った刀身……少女が戦場を駆け抜け全力で振り回すにはあまりにも重かった。
 神凪は心を打たれていた。この少女は自分のすべき事に全身全霊をかけたのだ。その身に起きる危険をかえりみずに……。

「彼女についていてあげてくれるかい?」
「はい!」

 神凪ははっきりと、力強く答えた。今自分のすべき事は、この少女につきそい守る事だと感じたのであった。





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