第六話『夢の旅人』前編



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 その日の帝都は、うららかな日差しに包まれた平穏な日であった。

 人々の往来には活気があり、笑顔があふれている。とりわけ銀座界隈において、その傾向が顕著に見る事ができた。

「華の銀座に花が咲く・・・・か。にしても・・・・この人の多さにはまいるなぁ」

 男は苦笑を浮かべ、銀座へと続く道を返り見た。
 今日からしばらくの間、銀座は人々の往来が多くなる。三越で新しい催し物が開催された事も関係しているのであろうが、多くの人々の関心は他にあった。
 今日から、帝國歌劇團「花組」の公演が始まるのである。

「おや?そこにいるのは輪墨先生ではありませんか?」
「ん?」

 銀座4丁目方面に向う人々を眺めていた男に、誰かが声をかけてきた。

「やはり先生だ!」

 声のした方に目を向けると、笑みを浮かべたスーツ姿の男が近寄って来くるのに気がついた。

「これは編集長。こんな場所で会うとは・・・珍しい事もあるもんだ」
「いやぁ、まったく。社ビル以外ではめったに会いませんからねぇ。っと、それはそれとして、このような場所で編集長と呼ぶのは勘弁願えませんか?なにかこう・・・こ恥ずかしくてなりませんよ」

 編集長と呼ばれた男は、苦笑を交えながら言葉を返した。

「そうですか。では、普段どおりに呼びましょう。牛さん(うしさん)」
「そうそう、輪墨先生にはそう呼んで貰わないとしっくりしませんよ」

 牛は笑って男の名を呼んだ。

「ところで先生。もしかすると先生も大帝國劇場に行かれる途中ですか?」
「いや、自分は三越の新しい催し物を見に来たんです。仕事柄、写真の展示されている催し物は見ておいた方が良いですからね。しかし、牛さんの目的はやはり帝劇でしたか」
「ははは、それ以外にわたしが銀座にくる事があると思いますか?」
「そう言えばそうだ。『編集長に会いたければ新聞社に来るよりも大帝國劇場に行った方が確実』だと、新聞社の方々に伺ってますし」

 輪墨は笑いながら牛に言った。

「酷いですなぁ。誰が言ったんですか?」

 牛は頭をかきながら笑った。

「おっといけない、早く行ってブロマイドを購入しておかないと!」
「えらく張り切ってますね」
「いやぁ、今回はわたし一押しの少女が主役なんですよ先生。ですから一分でも早くブロマイドを買っておかないと気がすまないんです!」
「なるほど、たしか今回は・・・喜劇でしたね」
「ええ、あの大喜劇役者であり偉大な発明家『李紅蘭』の血をひく、天才喜劇役者『李春蘭』主演の舞台です!彼女の舞台を見ていると、普段の疲れがいっぺんに吹き飛びますよ」

 やや興奮気味の牛は目を輝かせて語る。彼の名は、竹原牛彦(たけはら うしひこ)。彼をよく知る人は親しみをこめて呼んだ。『牛丼の大将』と。

「本当に好きなんですねぇ。帝劇が」
「初代帝劇時代からのファンですよ。当時はまだ10才でしたが、親にせがんだり、貯金をしては見に行ってました」
「前に一度部屋を拝見させてもらった時、壁じゅうブロマイドやポスターだらけだったのを覚えてますね」
「あれはわたしのコレクションの一部ですよ。では、輪墨先生。今日のところはこのあたりで失礼します。ブロマイドを買い損ねるわけにはいきませんので・・」
「ははは、おおいに楽しんで来てください」

 牛丼の大将は軽く頭を下げると、きびすを返し銀座4丁目に続く人ごみの中に姿を消した。

「帝國歌劇團『花組』か・・・・・。がんばっているのかな・・・真宮寺吉野ちゃんは」

 輪墨真は、かすかな笑みを浮かべ、銀座4丁目に背を向け再び歩きだしだ。
 下駄の音が人ごみの中へと消えていく。


    



「石とは意思なるもの也、其はかれをして記憶を写しえらむもの也・・・・か。なるほど、あざみ君はあの石のかけらが、この本に書かれている物だと言うのか」

 支配人室で、米田はなにやら古めかしい本を読んでいた。装丁を見るに、日本で本という形が定着した頃の品なのかもしれない。しかし、みみずののたうちまわったような文字を、よく読めるものだ。伊達に年はとってないと言うことか。

「白石のダルタニヤンと名乗った男の石面のカケラを分析致しましたところ、異質な霊力が宿ってました。おそらく、その庚東酉示伝(こうとうゆうじでん)に記されている言魂石(ことだまいし)と同等の物と推測されます」
「己の意思を石に封じ、時を封じる。たいしたもんだな。あざみくん」
「はい、現在の科学にも石中に回路を組み込む技術がありますが、このカケラはそれらの源祖と言えるかもしれません。もっとも霊石を作るのは容易な事ではありませんが」
「うむ、たしかにな。今の科学では作り出す事はできないだろう。だが霊力を秘めた石に関する記述は世界各国にも見る事ができるぞ。賢者の石・・・。精霊石・・・。聖者の瞳・・・。魔紅石・・・。太極石・・・。、日本では言魂石、護霊柱、あるいは御魂石と呼ばれている物だ。それらに共通するのは、強力な霊力を内包しているという事だな・・・・」

 米田は本を閉じ、机の上に静かに置いた。

「どうしますか?更に詳しく調査致しましょうか?」
「いや、これ以上調べる必要もねぇだろう。このかけらを今の科学で解明しきれるとも思えん。第一かけらではたいして意味がねぇ。とりあえず、敵の正体についてのヒントを得たというところで良しとしようや」

 窓から外の景色を眺めていた米田の口元が、微かにゆがむ。その表情は、まるで何もかも承知していると語っているようだった。おそらく米田支配人はこのカケラの正体を知っているのだ。と、あざみは直感的に感じていた。米田支配人がその事を口にしないのは、今が言うべき時でないからなのだろう。あざみはそう思い、これ以上この話題を口にしないと決めた。
「では、この件は一時凍結しておきます。あ、そうそう・・・・一条さんから伝言があったのを忘れてましたわ」

 あざみは、ふと思い出したように口を開いた。

「のんだくれから?いったいどんな用件なんでい」
「なんでも、支配人に会わせたい人がいるので、都合をつけて欲しいそうです」
「ほぉ、のんだくれが、この俺に引き合わせたい奴がいる・・・・か。面白れぇ、どういった相手か聞いてないか?」
「さぁ、詳しい事は聞いておりません。全ては会わせた時に説明するそうです」
「・・・ま、いっか。よし、のんだくれには後で俺から電話をしておく」
「では、わたしはこれで・・・」

 あざみは用件がすむなり、そそくさと支配人室を出ていこうとした。

「おう、じっくりと楽しんでこいや。春蘭の初主演だ。紅蘭とはまた一味違った舞台で面白れーからよ」
「ふふふ」

 あざみは微笑みながら支配人室を後にした。

「のんだくれが、引き合わせたい人物・・・・。興味あるな・・・・」

 米田はつぶやきながら、懐に手を入れ一つの黒く小さな物を取り出した。印籠だ。吉野が母から譲りうけた印籠と同じ物が米田の手の中にあった。

「・・・・意思持つ石か・・・。おめえの予想通りとてつもない事がこの帝都で起りつつあるようだな・・・一基」

 米田は印籠に視線を落して苦笑いを浮かべた。


    



「しゅんら〜〜〜〜〜ん!」
「キャーーーーーー!シ〜〜〜〜〜リス〜〜〜〜〜!フロ〜〜〜〜〜ナ〜〜〜〜〜〜」

 劇場内から観客達の黄色い声が聞こえてくる。何故『黄色』というのか作者は知らないが、まぁ、今はどうでもよいことだろう。とにかく、この声は舞台に立つ三人だけに向けられているのである。神凪がこの声援うずまく帝劇にきてから、はや3ヶ月が経とうとしていた。少々のトラブルはあるものの、花組メンバーはメキメキとその実力をあげ、多くの観客を未了する演技をするまでに成長した。そして第一回公演「白雪姫」で王子役を演じた神凪も二回公演が始まるやいなや、モギリという恐ろしい仕事を体験する事になったのである。最初はそれほど気にもかけていなかったモギリの仕事だが、今では自分の考えが甘かったと痛感させられていた。

「・・・・・あの方がモギリの話をする時、暗い表情になるワケだ・・・・」

 今日の入場キップを全てモギリ終えた神凪は、イスに腰掛けたまま、重い口調でつぶやいた。神凪の尊敬する先代キング・オブ・モギリ・・・・・もとい先代帝國華撃團『花組』隊長大神一郎も同じ思いでモギッていたのかと思うと、今すぐにでも彼のもとにかけつけ『ご苦労様でした』と言いたい気分に駆られてしまう。

「おつかれさまでした。神凪さん」

 そんな心境の神凪に、一人の女性が近づいてきた。湯気のたつお茶を乗せた盆を手に持っている

「あ、すみません睦月さん」
「今日も盛況のようですね」
「ええ、立見券も全てはけて、キャンセル待ちの人間だけでも2〜30人はいましたから・・・たいしたものです。ただ、それだけモギリの仕事が忙しくなるんで、うれしさと悲しさが・・・・ははは」
「まぁ、神凪さんったら。支配人に告げ口しますよ」
「む、睦月さん!恐ろしい事は言わないで下さい。今の言葉が支配人にしれたら、また『軍人としての鍛練がたらん!』と怒鳴られてしまいます!」
「冗談ですよ。ウフフフフフ」
「は、ははは・・・・・」

 神凪は場内の扉を眺め、受け取ったお茶をすすった。あの扉の向こうでは彼女達の楽しい舞台が繰り広げられているのだ。今回の演目は「東海道中膝栗毛」。俗に言う『弥次喜多道中記』である。弥次郎兵衛と喜多八が東海道から京都大阪を舞台に、失敗とこっけいを繰り返しながら旅をする話だ。多少帝劇風にアレンジされている所が面白いだろう。弥次郎兵衛を演じるのは『李春蘭』。かたや喜多八を演じるのはなんと『シーリス&フローナ』の二人一役である。『場面転換の度に喜多八の性格がころころ変り、弥次郎兵衛が慌てふためく場面が絶妙だ』と各新聞社が絶賛している。中でも桜歌新聞社の記事には熱が入っており、帝國歌劇團を愛する人々の間では『帝都日報より桜歌新聞』と言われている程である。

「さてと、それじゃそろそろ周防の手伝いに行くか・・・・・」
「大変ですねぇ。モギリの後に舞台の裏方の手伝いなんて」
「これも仕事ですから。愚痴はこぼしても手を抜く事はできません」
「偉いですね。水奈(みな)にも見習ってほしいですわ。あのこはさぼる事ばかりを考えるものですから困ります」

 睦月は苦笑し、飲み終えた湯飲みを受け取る。

「ははは。それじゃあ自分はこれで。お茶ありがとうございました」
「いいえ、裏方がんばってくださいね」

 事務を担当する睦月は手をふって神凪を見送った。事務の睦月と水奈、売店のさつき。この三人を人は親しみを込めて呼んだ。『帝劇三人娘』と。また彼女達も二代目なのである。
 睦月はゆっくりと劇場正面玄関前から外に出て空を見上げた。青い空が帝都の上に広がっている。

「そろそろ夏の足音が聞こえてくる頃ね・・・・今年も暑くなりそう」

 日差しが眩しい、ある昼の一時である。



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