第三話 運命の絆 前編
「なるほど、そんなに危険な状態だったのですか。それでは、めのじさんもかなり神経を使われたでしょう」
そのころ神凪は、めのじに吉野が昏睡状態に入ってからの一部始終を聞いていた。
ズズッっと煎茶をすする。
「うんうん、分かってくれたかい。そうなんだよ、ものすごく大変な仕事だったんだよ。それを華撃團の女の子達は分かってくれないからねー」
「まあ、知識がなければ理解するには難しいですね……。しかし、分かる人にだけ分かってもらえれば、それで良いのではありませんか?花組にとってみれば吉野君が助かった……それだけで十分でしょうから」
「なるほど、そういう見方もあるのか。……うん、神凪君は話が分かるなー。あ、遠慮しないでこれも食べてくれ」
「あ、はい。頂きます」
めのじはこの若い士官をえらく気に入ったようだ。
それを証拠に、れいか達にすら出さなかった、高級煎茶とさくら饅頭をおしげもなく出しているのだから。
……さくら饅頭……旨いんだなこれが。
「………しっかし、いつまで寝ているつもりなんだろうな?このお姫様は……」
めのじは苦笑を交えた表情で吉野を見る。
「目覚めるまで根気よく待ちましょう。自分でよければいつまでも付き添っていますよ。米田中将の許可があれば……ですが」
神凪の顔に微かな笑みが浮かぶ。
結構、この二人は息が合うようである。阿云の呼吸のように。
めのじは湯のみに入っていた煎茶を一気に飲み干した。
「ところで神凪君。君の配属される花組も当然歌劇をするんだけど、最初の公演は何か知っているかい?」
「い、いえ。舞台についての話はいっさい聞かされてません。ただ仮の職業として自分がもぎりをすると聞いているだけです」
神凪は軽い口調でそう答えた。
様子から見て、もぎりの仕事をよく理解していないと見える。まあ、時期に彼もモギリの悪夢に苦しむ事になるだろうが……。
「そうか、舞台はあまり関係ないから聞かされていないのか。うん、彼女達の初公演は『白雪姫』に決まったそうだよ」
「白雪姫……ですか……」
神凪の視線が吉野に移る。
「やはり君も同じ事を考えたか!ピッタリの役だとは思わないかな?吉野君に」
めのじもいまだに眠り続ける吉野をみやる。
まるで深い眠りを覚ましてくれる王子様の接吻を待つ姫のように……。
「はあ、不謹慎にも一瞬考えてしまいました。ハマリ役なんじゃないかと」
神凪は苦笑しながら吉野を見つめる。
その瞬間、まるで神の掲示を受けたかのようにめのじの頭にとんでもない考えが浮かんだ。
……一応ことわっておくが、決して作者が悪の電波を送ったのではない。あくまで、めのじの頭脳がその考えを弾き出したのだ。
「なあ神凪君、白雪姫は王子様の接吻で目が覚めるんだ…………吉野君が白雪姫なら………」
煎茶をすすりながら、神凪はめのじの方に向きなおる。
「君が今、王子様となって接吻してみるというのはどうだい?案外本当に目覚めるかもしれないぞ」
ブプッ
「ゴホッ、ゴホッ、い、エホッ、いきなり、何を言うんですか!」
神凪はめのじの言葉に顔を紅潮させ、せき込んだ。
「はっはっは、冗談だよ冗談。しっかし神凪君は面白いなー、期待どうりのリアクションをしてくれる」
めのじはしてやったり、という顔で笑う。
「たちの悪い冗談はやめてくださいよ」
「わるい、わるい。でもシュチエーションは似てるじゃないか。眠りつづける吉野君が白雪姫、ずっと付き添っていたオレが小人。で、ふいに現われた神凪君が通りかかった白馬に乗った王子様」
「……小人が少ないですよ。それに自分は王子様なんてガラじゃありません……」
顔を赤く染めたまま居心地がわるそうに吉野の顔をもう一度見る。
白雪姫……たしかに似合うかもしれない。清楚な表情が映えるように思える。
(な、何故こんなに鼓動が早くなるんだ…………も、もしかして俺は彼女に)
そんな考えが頭に中によぎるさなか、彼の霊力は迫りつつある危機を感じ取った。
(ん?!!………なんだ?この妖気は……まさかっ!)
上野公園の中にあり、帝都を望む事のできる高台に妙兼は立っていた。
古の祭器『楔』。
その楔に本来の力を注ぐために、眼前に広がる帝都の町に災いをもたらそうとしているのである。
「孔明は地脈の力によって『楔』を発動させるつもりだったらしいな。なかなか手の込んだことをしよる。そんな事をせずとも簡単に発動させる方法があると言うに………………それとも奴め、聖人君子でも気取るつもりか?………まあ、良い。我は我の方法で『楔』を発動させてくれる」
妙兼は一枚の赤い式符を眼下に望む帝都へ向けて飛ばした。
ヌウウウウウウウウ!カアアアアアアアッ!
妙兼の手が淡い紫の光りを放ちだす。
妖気が凝縮され光となって現われているのだ。
そして、怪しき光りに包まれた手が重なり、乾召印(けんしょういん)の形を成(な)す。
「オン・サンマヤ・ラク・カ・シャ・エイ・ソワカ
オン・サンマヤ・ラク・カ・シャ・エイ・ソワカ
オン・サンマヤ・ラク・カ・シャ・エイ・ソワカ
オン・サンマヤ・ラク・カ・シャ・エイ・ソワカ
オン・サンマヤ・ラク・カ・シャ・エイ・ソワカ……」
妙兼の呪文が赤い符に届く。
刹那!赤い符がみるみる形を変え、大きく膨らみ、一匹の巨大な蛇と化した。
「クククッ、行け魅万伽の蛇(みまかのへび)よ、蝦千瞑様の式神よ!小鬼と共に汝の欲望を満たすがよい!ククククク……カーカッカッカッカッカッカッ」
一匹の紅の大蛇は先に放たれた小鬼の後を追うように、人々の悲鳴の中を突き進んでいった、帝都を破壊するために。
神凪は強い妖気がせまってきているのを感じ取っていた。
今まで感じた事のないような協力な力である。
憎悪、欲望が凝り固まったような邪悪な気配。
それが今、この病院に向かってきているのだ。
ウワーッ
突然、外から叫び声があがった。
「ん?なんだ?また事故でもおこったのか?」
めのじは、そんなことを口にしながら窓の方に目をやった。危機感は感じられない、のんびりとした口調である
(ち、近い!)
神凪の霊力が妖気の流れの源を感じ取った瞬間、足元に微かな振動がおこった。
「めのじさん気を付けて!」
「へっ?」
ドドーーンッ
神凪の声が早いか、大きな音とともに病院が揺れた。
「のわあああああああ、な、なんだあああっ」
激しい揺れに、椅子に座っていためのじはうしろのにスッ転ぶ。
ベキベキベキッ
壁や天井に亀裂が走った。
「お、おい神凪君!、これはいったい…………」
「分かりません、ですが大量の妖気が感じられます」
「なに!妖気だと?」
激しい揺れのためか、天井からパラパラと木の破片が落ちてくる。
「まさか、魔獣の仕業か?…………よ、吉野君!」
めのじが叫ぶ!
神凪は瞬時にめのじの視線を追う。
視線の先には吉野が眠るベットの上……大きな亀裂が入った天井があった。
ベキャッッッッ
一際大きな音がしたと思うと、天井を突き破り折れた柱の一部がベットの上に落ちてきた……吉野の身体の上に。
「!」
血が逆流する感じがした、何も考えられなかった……神凪はそのとき頭ではなく反射神経のみで行動をとった。吉野を助けんがために。
「ぐあああっ!」
吉野の身体に覆い被さった神凪に柱の破片が容赦無く降り注がれる。
「神凪君!」
木の軋む音、破片の落ちる音の中にめのじの言葉はかき消された。
ドコッ
「アウッ………」
一際大きな破片が神凪の後頭部を直撃した。霊力でダメージを軽減していたとはいえ、これにはひとたまりもない。
「神凪君!大丈夫……かあああああ!をををををををを!」
ドドドドド、ガラガラ、ドッシャーン
めのじの悲鳴を最後に耳に入り吉野の上に倒れ込む……BLUCK OUT!
神凪の意識が飛んだ……自分のしでかした事に気付きもせずに……
あたりは真っ白だった。全てが白く、もう自分すら形をうしなっている。まるで心だけが存在している様な感覚だ。
「………寒い……」
吉野の心は悲しみにより、凍えていた。この場所では吉野の心を暖めてくれる者はいない。
「……寒い………苦しいよ……」
悲しみに押し潰されそうになるのを必死に堪え、吉野はつぶやいた。
…………だが、返事はない。ただ時間だけが過ぎていく。
「わたし……どうなるんだろう……お父さん……お母さん」
両親の顔が脳裏に浮かぶ。
優しい瞳が吉野を叱咤する。
『しっかりするんだ、吉野!』
『吉野、こんな場所でなにグズグズしてるの。あなたらしくないわよ』
ふいに励ましの声が聞こえてきた……。
父の勇気づけられる声、母の暖かい声……
そして……
『なにやってるの吉野!あなたはまだ何もしていないじゃない!落ち込むのは後にしなさいよ!』
「真澄!」
吉野は叫んだ、親友の名前を。
『早くここから出るのよ!まだ舞台は始まっていないわ』
「でも、どうすればいいの!何処に出口があるの!分からないのよ、出口が……分からないのよ!」
吉野は力の限り叫んだ。すでに寒さや不安は感じられなかった。
『吉野、あなたはすぐ目で探そうとするのね。物事にはね目で見つける事ができない物もあるのよ。教えたでしょ……心で探すって……身体全身で探すって……。心の耳をすませなさい吉野……あなたを呼んでいる声が聞こえるわよ』
「え?」
ふいに、あたりが暗くなる。闇だ……両親の声も真澄の声も消えた。
しかし……不安は無かった……暖かい物を感じる……暖かい人の温もり……熱い吐息を……吉野は唇に暖かいものを感じていた。
やがて、吉野は目を開け始めた。
現実の世界に。
「!」
目を開けた吉野の思考は混乱していた。
光りと同時に男の顔が目の前にあったのだ。
見知らぬ男の顔だ。
何がどうなっているのか理解できない。いや、したくないのかもしれない。
どうやら自分に覆い被さっているようだ。
「!!」
まだ、唇に熱いものを感じる……。
「!!!」
吉野の頭が整理されていく。
……現在整理中……
「く、くそー酷い目にあった。あつう、腰にでかいのがぶつかったか。キリキリ痛むぞ」
吉野が目覚めたすぐそばでは、めのじは己の上に乗っている板をどけて、立ち上がろうとしている所だった。
……整理中……
「まったく、何がおきたんだ」
ドドーンッ
再び建物が揺れた。
「おわっ」
めのじは再びスっ転ぶ。
そして…………整理完了
(え、なに。男の人の顔?わたしに覆いかぶさっているの?……こ、この唇の感触…………!!!!!!!!!!!!!!!!)
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「なにいっ!」
凄まじい悲鳴に思わず振り向いためのじめがけて、何かが飛んできた。
「なっ、かんなぎいい!」
ドコーーーーーンッ
正面から飛んできた神凪を避ける事ができずに、めのじは神凪もろとも壁に激突した。
「おごわっ」
ぷひーーーーーっ
顔面に神凪の頭がめり込んだのか、めのじの鼻から真っ赤な噴水が飛び出した。
ボテッ
「ハア、ハア、ハア」
吉野の息は荒かった。
無我夢中で目の前にいた男を突き飛ばしたのだ。
(キスされた、キスされた、キスされた)
吉野は口元を抑えた。自分の顔が赤くなっていくのを感じる。
「う、うう……さ、さらに酷い目にあった」
目に涙を溜め、鼻をふきふきしながら、めのじは神凪の身体をのける。
神凪は今だ目覚めていない。
まるでとどめをさされたかのように、目を回している。
ガタリッ
何かの動く音がした。吉野である。
「をを!吉野君!目覚めたんだね。良かったー」
めのじの言葉に吉野は警戒した。
「だ、だれ!」
身体が震える。鼓動が速い。知らない男に唇を奪われたというショックが吉野の身体を支配していた。
「え?ああ、悪い。驚かすつもりはないんだ。えっと、オレの名はめのじ。帝國華撃團の関係者だ」
「え?!……帝國……華撃…團?」
「そうそう、君は帝國……」
めのじが何か言いかけると、三たび病院が揺れる。
「なに 、地震?…………違う!、何かがぶつかる音?」
三度目にしてようやく吉野も、この異常事態を感じ取れるようになった。
「わ、わからんが地震ではなさそう……だわあああああっ」
ドッカーン
めのじの横に木の柱が落ちる。
「ひいいっ、こ、こらたまらん。吉野君、詳しい説明は後だ、今はまずここから非難しよう」
「あ、はい!」
状況が飲み込めないのは不安だが、ここにいても危険なだけだ。吉野は目の前にいるめのじと名乗る男の言葉にしたがう事にした。
「おい、神凪君。目を覚ませ、寝ていたら死んじまうぞ……おいこら!」
めのじは、神凪を揺すって起そうとするが効果はない。
「あの……めのじ…さん?その男(ひと)は?」
めのじが起そうとしているのは、自分の唇を奪った男だ。気になって仕方が無い。
「ん?ああ。彼の名前は神凪近衛。帝國華撃團の隊長になる奴だよ。……っち、起きそうにないか。仕方ない……よいしょっと」
めのじは起きそうにない神凪を担ぎ上げる。
「それで、落ちてきた柱の破片や板から君を守っているあいだに頭を打って、このとおり気絶しちまったんだ」
「ええ!……華撃團の……隊長さん?……わたしを助けてくれた?」
吉野は辺りを見回した。床には大量の木々が散乱しているがベットの上、とりわけ自分の上半身にはほとんど落ちていない。
(助けてくれるために、わたしの覆い被さっていたんだわ。そして、気絶して……)
接吻と突き飛ばした行為を思い出した吉野の顔がますます赤くなっていく。
(ど、どうしよう。助けてくれた人を突き飛ばしたりしちゃった)
「よ、吉野君。とにかく今はこの場から離れよう。!おわっ!」
いまだ落ちてくる木の破片を、千鳥足になりながらも回避する。
「は、はい!………あっ」
返事をした吉野は、傍らに母から預かった荒鷹が無いのに気付く。
「あ、あの、わたしの刀は何処にあるんですかっ?!」
ベットから降りた吉野は辺りを見渡しながら言った。
「ああ、荒鷹とかいう真剣なら、帝國華撃團司令の米田中将に預けてある。病院に置いておくわけにはいかないからね」
「そうですか…………。良かった、無くしてしまったのかと思いました」
安堵の顔で答えた。
「ははは、吉野君は心配性らしいな……って、和やかに話している場合じゃない!」
ドドーンッ
「うわあああ」
「キャアアア」
建物が更に激しく揺れる。まるで巨大な何かがぶつかっているようだった。
「おっとっとおおお、大丈夫か吉野君!」
「は、はい。わたしは大丈夫です」
「よし、じゃあオレの後についてきてくれ」
「は、はい!」
二人は振動がつづく廊下を駆け抜け、非常出口へと向かった。
次回予告!
次回予告(『なおろうでぃんぐ』で止まってしまう人用)
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