第一話 花の名は吉野





「ごめんね真澄、気をつかわせてしまって」
「いいのよ、あたしも吉野のおかげで良い買い物ができたから」

 店を出た二人は、路面蒸気車両が通りかかるまで歩いてゆく事にした。路面蒸気車両は、まだ本数が少ないので、あと十分位は通りかからないだろう。
 しばらく歩いていると、背後から男の呼び声が聞こえてきた。

「よう、吉野に真澄じゃないか」

 二人が振り向くと、そこには三人の少年が大きな袋を抱えて立っていた。

「え?……幸太に三郎。それに健一?」

 吉野は同級生の名前を呼んだ。一人は紙袋で顔が隠れかかっていたが、確かに健一だ。

「ちょっと、どうしてあなた達がこんな所にいるのよ!今は男子の作業時間のはずよ?」

 真澄が少し怒ったような口調で幸太に詰め寄った。

「いや、材料が足りなくなったんで買い出しにきてたんだよ」

 真澄に詰め寄られて、少し身体を後ろにそらせながら幸太は言った。なるほど紙袋には画材店の判が押されている。

「なんだ、そうだったの。てっきり作業を抜け出してるのかと思ったじゃない」
「ひでえ、俺達をそういう目でみてたのかよ」

 真澄の言葉に三郎が声をあげる。

「だって、日頃の行いがねえ……」

 じと目で三人を見る真澄。やはり吉野の親友だ、じと目にも年期が入っている。

「ははは、それを言われると、仕方がありませんねえ」
「お、おい健一。何納得してるんだよ」
「そうだぞ、それじゃまるで、俺達の日頃の行いが……」
「悪くない……と言えますか?」
「………」
「………」

 真澄は呆れ顔で三人を見ている。

「まあ、そう言う事ですね。じゃあ真澄さん、僕たちはこれで失礼しますが、昼過ぎには学校に来て下さいよ」
「分かってる。時間も無い事だしね」
「それでは、吉野さん真澄さん。失礼します」

 健一は残りの二人を従えて、線路沿いにある学校の方へと歩いて行った。

「ねえ真澄。いったい何やってるの?」
「花見、……花見の準備よ」
「花見なんてまだまだ先じゃないの?」

 吉野がそう聞くと、真澄は少し真面目な顔をして答えた。

「そうでもないわ。先の話どころか時間が無いくらいよ……」
「真澄?」
「なーんてね。本当言うと、今から準備しないと彼ら動かないでしょ」
「もう、真面目な顔して言うからてっきり……」
「てっきり、何?」
「な……なんでもない」

(やっぱり言うべきなの?いやだめ!、決めたはずよ言わないって。……でも)

「どうしたのよ。今日の吉野、何か変よ」
「そんな事ないわ、いつものわたしよ。あ、もしかしたらお父さんが帰ってきてるから、それで少し舞い上がってるのかも……」
「えぇぇぇっ。吉野のお父様が帰ってらっしゃるのおお?!」
「あれ、話してなかったかしら?」
「聞いてない!、聞いてないわよ!もう、吉野ったらそんな大事な事を言い忘れるなんて!」
「ご、ごめん。……でもそんなに大事な事かな?」

 父の帰宅でここまで大騒ぎする真澄がなぜか面白かった。

「あたりまえでしょ。海軍のエリート仕官で容姿も良いんですもの。特に吉野のお母様と並ぶと絵になるわ」

 確かに絵になる二人ではある。吉野も憧れているものはあったが、真澄ほどではなかったので、真澄のはしゃぎ様には少し驚いてしまう。

「あ、真澄。路面蒸気来たわよ」

 今だに夢見心地の真澄をひっぱるように路面蒸気車両へと走って行った。


    



 路面蒸気車両を降りてからは、吉野の両親の話ばかりだったが。真澄の話ぶりを見ていると本当に憧れているのが分かった。

「とりあえず今日は、ここでお別れね。昼からわたしも幸太達といっしょに作業に参加しないといけないから」
「……わたしは参加しなくてもいいのかな?」
「え?、よ、吉野はいいわ。今日はお父様が帰ってきてるんでしょ。手伝ってもらう事があれば、その時に頼むわ」

「そ、そう」

 しばらく語らいながら路地を歩いていたが、大きな交差点に差しかかった所で真澄は立ち止まった。この交差点をまっすぐ登ると吉野の家につく。ここを左へ少し下ってから右に曲がり、更に数百mほどに行くと真澄の家はある。

「今日は付き合ってくれてありがとう吉野」
「わたしこそ、リボンをもらって……。このリボンわたしの宝物にするわ」
「もう、大袈裟なんだから吉野は。じゃあまた明日」

 手をふりながら真澄が緩やかな坂を降りて行く。

(本当に言わなくてもいいの?今ならまだ……)

「真澄!」

 心の葛藤の勢いで、思わず叫んでいた。
 真澄が振り向く。少し驚いている様子だ。
 真澄の顔を見た瞬間、吉野は決めた。やっぱり、このまま別れよう。

「またね!」

 吉野は精いっぱいの笑顔で真澄に手を振った。
 真澄も手を振り替えす。

 真澄が見えなくなると、吉野はゆっくりと坂を上り始めた。


    



「やーーー」

 道場に吉野の声が響く。
 買い物から帰ってきた吉野は、すぐに父親と乱取り稽古を始め、父親が抜けたあとも黙祷(もくとう)と素振を繰り返していた。

「いったいどうしたんだ吉野は?帰ってきてからずっとあの調子だよ」
「辛い事があると、いつもああやって一人で稽古してますわ」
「辛い事……か。」
「ええ、たぶん言ってないのでしょう……」
「……言えないのだろう」

 夫婦二人で、夕焼けで赤く染まった道場をみつめている。

「……さてと」
「あら、どちらへ?」

 ふいに夫が玄関の方に向かう。

「東郷中尉の家へ行ってくるよ。明日、頼むことになると思うからね」
「そうですね。吉野なら……。では、夕飯までには帰ってきて下さいね」

 夫の考えを察したさくらは、暗黙のうちに自分も同じ考えでいる事を夫に伝える。

「ああ、わかってる。久しぶりの君の手料理だ、一分でも速く戻ってくるよ」
「まあ、あなたったら。じゃあ腕によりをかけて作りますわ」


「えーいっ!」

 紅に染まった道場に、吉野の声だけが、……静寂の中、……響きわたっていた。


    



「わあ、すごいご馳走!」
「ふふ、吉野の新たな門出ですもの、今日くらいはね」
「それにしても、すごいな。これは」

 目の前に並べられたご馳走の数々は、さくらの全てを出しきったと言っても過言ではない程、豪華な料理だった。

「あれ?これ「ボルシチ」じゃないか」

 昔何度か食べた事のある、ロシアのシチューだ

「へえ、お母さん。ロシア料理も作れるんだ」
「ええ、前にマリアさんに教えてもらった事があるのよ」

 昔懐かしの料理である。
 全ての料理が並べられて、家族が一つのテーブルについた。

「それじゃあ、吉野の門出を祝って乾杯するか」
「そうですね。でも、吉野にお酒はだめですよ」
「わかってる。吉野はジュースだな」
「ちょっと待って!……」
「あれ、ジュースは嫌いだったか?」
「そうじゃないの。……食事を始める前に聞いて欲しい事があるの」

 吉野は、真剣なまなざしで両親を見る。

「なんだい?言ってごらん吉野」
「明日、……明日の駅での見送りはいらない。わたし、この家から一人で行きたいの」

 両親はだまったまま吉野を見つめ、そして口を開いた。

「ああ、わかった。見送りは玄関先でしよう」
「そうね、吉野が決めた事なら仕方ないわね」

 絶対、反対されると思っていた吉野にとって、信じられない両親の言葉だった。

「……いいの?」
「ああ、吉野がそう言い出すのは分かっていた事だ」
「え!」
「吉野のことだから真澄さんや他の友達に、帝都行きを言ってないのでしょう?それなのに私達だけが駅で見送る事を、吉野が考えるわけないものね」
「……お父さん、……お母さん」

 思わず目頭が熱くなる。自分をこれだけ理解してくれる両親を持って、本当に幸せだと思った。

「ほらほら、吉野の新しい門出でしょ。そんな顔は似合わないわよ」
「はい!」

 吉野は涙を堪えて笑った。 

「あー、そうそう。明日、東郷中尉に吉野を駅まで送ってもらうよう頼んでおいたからね」
「お父さん?」
「さっきまであんなに稽古していたのだからね、歩いて行くのだけはやめておきなさい。それに東郷中尉になら送ってもらっても問題はないだろ?」
「ありがとう、お父さん!」

 全てを理解した上、協力してくれる両親に、自分はまだまだかなわないと更めて思い、自分も両親のようになりたいと願う吉野であった。

「じゃあ、始めましょうか」

 最高の笑顔でさくらが言う。

「よし、それでは……。吉野の門出を祝って、乾杯!」

 賑やかな宴と供に、真宮寺家の夜が更けていく。


    


 ボッボッボッボ……
 神崎重工製 甲-三八式蒸気式四輪車が真宮寺家の前に止まっている。

「気を付けて行くんだよ、吉野」
「はい」
「向こうに着いたら連絡してちょうだいね」
「はい」

 朝からずっとこの調子で、東郷中尉が来てからも、いっこうに終る気配がない。しかし、時間は刻々と流れていく。

「真宮寺大佐!そろそろ出発しなければ、午前九時の汽車に間に合わなくなりますが!」

 それまで、黙ったまま立っていた東郷中尉が時計を確認して進言する。

「ああ、分かった。しかし悪かったね、郷帰り中にこんなことを頼んでしまって」
「いえ、大佐殿のお嬢様をお送りできて、光栄であります」
「ははは」

 東郷は本当に嬉しかったのだ、役目の内容は問題ではなかった。飛ぶ鳥をも落す勢いで出世し、年内にも少将の階級がほぼ約束されている真宮寺大佐に、自分の存在を覚えていてもらえただけで、彼は幸せであった。

「吉野、これを持っていきなさい」
「印籠?」
「そうよ。帝國歌劇団の米田支配人から頂いた印籠よ。これはあなたの身分の明かしでもあるから大切にするのですよ」
「はい」

 吉野は荷物を後部座席に入れ、両親に最後の挨拶をする。

「お父様、お母様。真宮寺吉野……行ってまいります」

 母から譲り受けた「荒鷹」を手に蒸気四輪に乗り込んだ。
 蒸気便が開き笛が鳴り、よっくりと蒸気四輪が走り出す。

「吉野なら大丈夫ですよね?あなた」

 走り去る車を見送りながら、さくらは夫の手を握り、訊ねる。

「ああ、私たちの子だ大丈夫さ。それに、みんなの子供も帝撃にやってくるんだ。どんな困難が待っていようと、その子達が力を貸してくれるはずだ」
「そうですわね。また帝撃にみんなが集まるんですものね」

そう言って、手の中にある大帝國劇場前で撮った写真を見たさくらだった。


    



 神を名乗る者による最後の帝都侵略から十数年。天下太平の世になり、初代帝國華撃團のメンバーも各々(それぞれ)の人生を歩んでいた。
 故郷に帰った者、帝都に残った者。選んだ道は違っていても、みんなは同じ場所から同じ思いを胸に巣立っていった。
 今では、帝撃の仲間も良き伴侶を得て、幸せな日々を送っている。
 中でも紅蘭は子宝に恵まれ、今年六人目の男子を無事出産。アイリスにも今年の八月に三人目が生まれる予定になっている。
 仲間の幸せな便りは嬉しいのだが、一人娘しかいない『さくら』には少し羨ましい便りでもあった。というのは余談である。


「さあ、つきましたよ」

 東郷少尉の運転する蒸気四輪は帝國鉄道仙台駅の改札口前に止まった。

「ありがとうございました東郷さん」

 蒸気四輪を降りた吉野は、東郷に向かって深々と頭を下げた。

「いえ、たいした事ではありません。ではお気をつけていってらっしゃいませ」

 東郷少尉は蒸気四輪の横に立ち敬礼をする。

「はい」

 吉野は再び深々と頭を下げ、駅のホームに向かった。
 駅にはすでに乙−六十二型蒸気機関式鉄道車両がすでに止まっている。
 吉野は前から三両目に乗り込み、故郷の山々が見える右側に座った。
 駅の時計が十時を指す。
 汽笛が鳴り響き、六二型蒸気機関車は動き出した。
 見慣れた駅が遠ざかる。
 しばらく見る事が出来なくなる駅だ。
 野や山を、今の故郷をこの目に焼き付けておこうと窓の外をずっと眺めている。

 吉野は、真澄や道場の仲間達に、何も言わず出てきた事を少し後悔していた。
 何も言わず出ていくのは、真澄や仲間を裏切る行為なのかもしれない。
 そう思いながらも、吉野は旅立ちを告げることは出来なかった。
 吉野は怖かったのだ。別れの言葉を言うことによって自分の気持ちが変わるのが……。
 
 別れというものは辛い。
 幼い頃より幾度となく別れを体験してきた吉野には、その辛さは人一倍分かっていた。
 分かっていたからこそ吉野は怖かったのだ。辛さゆえ帝都を守る使命より真澄や仲間を選んでしまいそうになる自分が怖かったのだ。
 帝都を守るのに生半可な覚悟ではいけない事は、父や母から何度(いくど)となく聞かされてきた。
 しかし、吉野には自分の覚悟に自信がなかったのだ。何をもって覚悟と言うのか、自分にそれが見い出せるのか?そんな思いを秘めての旅立ちである。
 悩み……、苦しみ……、長い間考えた末、吉野は決めたのだ、「見送りはいらない」と。

 『必ずこの地に戻ってくる』
 『二度と会えないわけではない』

 自分にそう言い聞かせ、父や母の見送りをも断わり。単身帝都に行くことに決めたのだ。
 今年十五になろうとしている少女には、他に道をみつけだす事は出来なかった。

 汽車は小さな橋を渡り始める。
 若葉の生い茂った河原を越えると、吉野の大好きだった場所が見えてきた。
 古びた学校だ。
 まだ充分に近づいてはいないが、日に焼けて薄黒くなった板張りのため、遠くからでもはっきりと見えた。
 桜並木の先に立てられた小さな建物だが、多くの友達と知り合い、吉野の大切な人と出会った場所でもある。
 ささいな事に感動し、笑い、泣き、励まし合った。何物にも変えられない、大切な親友『加藤 真澄』と出会った場所。
 その思い出のいっぱい詰まった場所が次第に近づいてくる。
 まだ開花していない桜並木が途切れ、学校の校庭が現れた。
 そのとき、吉野の目に思いがけな物が飛び込んできた。

「……何?……人?」

 校庭の真ん中に人がいる。それも一人や二人ではない。
 数え切れないくらいの人が、大きな何かを囲んでいる。
 旗だ、とびきり大きな旗……。
 突然、乗客の一人が声をあげた。

「なんだあの旗は!桜の絵か?!」

 そう、そこには今の時期、仙台ではまだ咲くことのない桜が、空色に塗られた旗いっぱいに咲き乱れていたのである。

「真澄!みんな!」

 思わず叫んでいた。
 旗の前に親友の真澄がいた。道場の仲間がいた。幸太に三郎、健一もいた。みんなこっちを向いて、大きく手をふっている。
 何かを叫んでいるが、列車の音にまぎれて聞き取ることは出来ない。
 しかし、みんなが何を叫んでいるのかは分かった。

「よしのー」

 届かないと知りつつも、真澄は叫ばずにはいられなかった。他の仲間達も同じ気持ちだった。
 真澄達は知っていたのだ。
……吉野が母親と同じ道を歩むため、帝國歌劇團に入る事……
……自分達にも言えない理由で、帝都に行く事……
……それを言えずに一人苦しんでいた事を……
 真澄達は親友として仲間として考え、全員一致で一つの結論を出したのだ。
 なにも聞かず、なにも言わずに笑って送り出そうと。

 そして、みんなの気持ちを込め、旅立つ日に一目『仙台の桜』を見せてやろうと、この旗を作ったのだ。
 吉野が好きな桜『染井吉野』を……旗に絵描いて。



 吉野は泣いていた。
 何も告げずに出ていく自分を、責めるどころか暖かく見送ってくれる真澄や仲間の気持ちにふれ、泣いていた。
 
 横に座っていた老紳士の呟きが耳に入る。

「奇麗な桜だねえ」

 本当に奇麗な桜だ。みんなの気持ちが込められた最高の桜。
 汽車は進み景色が流れていく、少しづつ真澄が、仲間が、桜の花が遠のいていく。
 そして桜は……仲間は……見えなくなる。
 理由を知らない他の乗客達は、「奇麗だったな」「良いものを見たな」と口々に言う。
 吉野は窓に手を掛け、項垂(うなだ)れたまま、声を押し殺して泣いていた。
 涙が止まらなかった。

「お嬢ちゃん。あそこにおったのは、あんたの友達かね?」

 老紳士の問いかけに、吉野は項垂れたまま頷く。
 声を出すことは出来なかった。

「いい友達を持ちなさったね」
 その言葉を聞いた時、吉野はかすかな嗚咽をもらした。

「……真澄、……みんな、……ありがとう……」

 その昔、一人の少女がこの駅から旅立った。
 そして今、その少女の娘が、父や母が守った帝都に向かう。
 舞台への希望と帝都を守る使命を胸に、桜の花咲く帝都に向かう。

 汽車が走る……。
 新たに始まる動乱と供に……。
 汽車は向かう……。
 世界の命運を握る帝國華撃團へ……一人の少女を乗せて。




次回予告

次回予告(『なおろうでぃんぐ』で止まってしまった方用)